※本記事は歴史・文化・法制度の解説であり、特定の作品・施設・営業を紹介するものではありません。裁判の経過や年月日は資料によって異なる場合があり、確認できた範囲で記しています。
「悪徳の栄え」事件と「四畳半襖の下張」事件は、チャタレイ事件に続いて、日本の裁判所が文書の「わいせつ」をどう判断するかを積み上げた二つの刑事事件だ。前者は1969年10月15日の最高裁大法廷判決、後者は1980年11月28日の最高裁第二小法廷判決で決着した。この記事では、二つの事件の経過と、判決が示した判断の枠組みが、1957年のチャタレイ事件判決からどう変わったかを、裁判所の公開資料で確認できた範囲で整理する。作品の性的な内容そのものには触れず、争点と判決の言葉だけを扱う。
この記事のポイント
わいせつの定義の出発点|刑法175条と判例
刑法175条は1907年(明治40年)に制定され、わいせつな文書や図画の頒布・販売・公然陳列を処罰する。条文には「わいせつ」の定義がなく、意味は判例が積み重ねてきた。最初の手がかりは、大正7年(1918年)6月10日の大審院判決だ。性欲を刺戟興奮させ、または満足させる文書図画で、人に羞恥嫌悪の感情を生じさせるものを指すとした。
戦後は、1951年(昭和26年)5月10日の最高裁第一小法廷判決(刑集5巻6号1026頁)が、「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」と定式化した。これが、いわゆる三要件だ。1957年のチャタレイ事件判決は、これを是認したうえで、判断は法解釈の問題で、基準は社会通念であり、芸術性とわいせつ性は別の次元の概念だと述べた。以下の二つの事件は、この判決を土台に始まっている。

不詳(絵葉書) / パブリックドメイン / Wikimedia Commons
「悪徳の栄え」事件|サド裁判の経過
何が起訴されたのか
18世紀フランスの作家マルキ・ド・サドの作品『悪徳の栄え』を、フランス文学者の澁澤龍彦が訳し、1959年に現代思潮社(社長は石井恭二)が出版した。起訴の対象になったのは、判決文で『悪徳の栄え(続)―ジュリエットの遍歴―』と呼ばれた単行本で、わいせつ文書の販売と、その販売目的の所持が問われた。世間では「サド裁判」とも呼ばれる。
一審無罪、二審有罪
第一審の東京地裁は、1962年10月に無罪を言い渡した。チャタレイ事件判決の基準に沿いながら、三要件のうち一つにあたらないとしたと解説されている。検察側が控訴し、1963年11月21日に東京高裁が一審を破棄して自ら有罪とした。罰金は石井恭二が10万円、澁澤龍彦が7万円とされる。被告側が上告した。
1969年10月15日の最高裁大法廷判決
最高裁大法廷(昭和39年(あ)第305号)は、1969年10月15日に上告を棄却した。裁判所の判例検索では、争点は次の四点に整理されている。
- 芸術的・思想的価値のある文書でも、わいせつ性を認められるか
- 文書の一部のわいせつ性を、文書全体との関係でどう判断するか
- 表現の自由や学問の自由は、公共の福祉による制限を受けるか
- 一審が無罪とした事件で、控訴審は事実の取調べをせずに有罪を言い渡せるか
多数意見の要点は次のとおりだ。まず、裁判所の職責は、文書のわいせつ性の有無を社会通念に従って判断することで、芸術的・思想的な価値そのものを判定することではない、とした。芸術的・思想的価値のある文書でも、わいせつの文書として処罰の対象になりうる。ただし、その価値が性的描写による刺激を減らし、緩和して、刑法が処罰する程度以下にわいせつ性を解消する場合があることは考えられる、とも述べた。チャタレイ事件判決では高い芸術性でもわいせつ性は消えないという面が強調されていたのに対し、この判決では、緩和の可能性が明示された点が特徴だ。
次に、文書の個々の章句は文書全体の一部として意味をもつので、その部分のわいせつ性は、文書全体との関連で判断すべきだとした。原審が示した14個所の描写について、全体との関連で検討し、なお通常人の性欲をいたずらに興奮・刺激させるに足りるとして、わいせつ文書にあたるとした判断を、正当と認めた。表現の自由と学問の自由は民主主義の基礎として重要だが、絶対無制限ではなく、公共の福祉の制限に服する、という点はチャタレイ事件判決と同じだ。
手続の面でも、この判決は判例を変更した。一審が無罪を言い渡した場合でも、法律判断の対象となる事実そのものに争いがなく認定されていて、残るのが裁判所の法律判断だけなら、控訴審は事実の取調べをせずに、自ら有罪判決を言い渡せるとした。これは、以前の判例(昭和33年2月11日の第三小法廷判決)を変更するものだった。
反対意見と補足意見
この判決には、裁判官5人(横田正俊、大隅健一郎、奥野健一、田中二郎、色川幸太郎)の反対意見がついた。田中二郎は、わいせつの判断には作品の芸術性・思想性・社会的価値との関連を踏まえるべきだという立場から、この訳書はわいせつ文書にあたらないとした。色川幸太郎は、表現の自由には知る自由が含まれるという点を論じた。一方、下村三郎裁判官は補足意見で、多数意見がチャタレイ事件判決の立場を一歩踏み出したものか、また、わいせつの概念を相対的なものと認めたものと言えるのかについて、自分の理解を述べている。結論は上告棄却で同じでも、わいせつ性を作品の価値との関係でどこまで相対的に捉えるかが、多数意見と反対意見の間の論点になった。
「四畳半襖の下張」事件|雑誌掲載をめぐる裁判
作品と作者をめぐる事情
『四畳半襖の下張』は、作家・永井荷風の作と伝えられる戯作だ。荷風名義の小説版が1917年(大正6年)に雑誌『文明』に載り、戦時中には春本版の存在が知られるようになった。春本版の冒頭に「金阜山人戯作」とあることから荷風の作と言い伝えられるが、国文学者の多くは断言を避けている。1948年には出版社のロゴス社が摘発され、荷風も警視庁の事情聴取を受けたという記録がある。
1972年の雑誌掲載と起訴
1972年(昭和47年)、月刊誌『面白半分』の7月号がこの作品を掲載し、編集長だった作家の野坂昭如と、雑誌社の社長だった佐藤嘉尚が、8月21日に書類送検された。のち起訴され、第一審・第二審とも有罪となった。量刑は、野坂が罰金10万円、佐藤が罰金15万円とされる。弁護側は丸谷才一を特別弁護人に選び、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、有吉佐和子らの作家が証人として申請されたと伝わる。東京高裁の判決は1979年(昭和54年)3月20日だ。
1980年11月28日の最高裁判決
最高裁第二小法廷は、1980年11月28日に上告を棄却した(昭和54年(あ)第998号、刑集34巻6号433頁)。裁判長は栗本一夫で、裁判官全員一致の意見だった。弁護側は、刑法175条が憲法21条や31条に反するなどと主張したが、判決は、21条違反の主張は1957年と1969年の大法廷判例の趣旨に照らして理由がなく、31条違反の主張も、刑法175条の構成要件が不明確とはいえないとして退けた。
この判決の中心は、そのあとに続く「なお」書きの部分で、文書のわいせつ性の判断方法を、具体的な検討項目として列挙したことだ。判決は、次のような点を検討することが必要だとした。
- 文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度と、その手法
- その描写叙述が文書全体に占める比重
- 文書に表現された思想等と、その描写叙述との関連性
- 文書の構成や展開
- 芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度
- これらの観点から文書を全体として見たとき、主として読者の好色的興味にうったえるものと認められるか否か
そして、これらの事情を総合し、「その時代の健全な社会通念」に照らして、三要件にあたるかどうかを決めるべきだとした。本件については、男女の性的交渉の情景を扇情的な筆致で露骨・詳細・具体的に描写した部分が、量的にも質的にも文書の中枢を占めているとして、構成や展開、さらに文芸的・思想的価値を考慮に入れても、主として読者の好色的興味にうったえるものと認め、わいせつ文書にあたるとした原判断を正当とした。なお、原判決は本件を「春本」と断じたものではないことが判文上明らかだ、とも述べている。

撮影・作者: Wiiii / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
三つの判決を並べて見る|基準の変遷
| 年 | 事件・判決 | 判断の枠組みの要点 |
|---|---|---|
| 1918年 | 大審院判決 | 性欲を刺戟興奮させ、羞恥嫌悪の感情を生じさせるものを指す |
| 1951年 | 最高裁第一小法廷判決 | 三要件(性欲の興奮・刺戟、普通人の正常な性的羞恥心の侵害、善良な性的道義観念への違反)に定式化 |
| 1957年 | チャタレイ事件(大法廷) | 三要件を是認。判断は法解釈で基準は社会通念。芸術性とわいせつ性は別次元。作者の意図は不問 |
| 1969年 | 「悪徳の栄え」事件(大法廷) | 芸術性・思想性による刺激の緩和を明示。部分は文書全体との関連で判断。反対意見5人 |
| 1980年 | 「四畳半襖の下張」事件(第二小法廷) | 判断の検討項目を列挙。全体として好色的興味にうったえるかを、その時代の社会通念で総合判断 |
こうして並べると、三つの判決に共通しているのは、判断の基準が「社会通念」である点と、表現の自由を公共の福祉による制限に服するものとする点だ。変わったのは、判断の手続と観点の具体化である。1957年は、わいせつかどうかを裁判官の法的価値判断として一括りに示した。1969年は、文書全体との関連と、芸術性・思想性による緩和を判断の要素として取り込んだ。1980年は、それを描写の程度、比重、思想との関連、構成、緩和の程度という項目に整理し、「その時代の」社会通念という言い方で、時間による変化にも触れた。これらは判決が述べたことの整理であり、ここに優劣の評価は加えない。

同時代の映画・出版の動き
この三つの判決の間には、映画や写真集をめぐる動きも重なっている。ロマンポルノの摘発は1972年、「四畳半襖の下張」の雑誌掲載と同じ年に始まっている。日活側の裁判については日活ロマンポルノの歴史で、1970年代末から広がったビニ本・裏本の規制の流れはビニ本・裏本の歴史で、戦前の秘密上映から続く非合法の映像の流通はブルーフィルムの歴史でまとめている。風営法の歴史も、あわせて見ると規制の全体像がつかみやすい。
まとめ
「悪徳の栄え」事件は、1969年10月15日の最高裁大法廷判決で有罪が確定し、芸術性・思想性があってもわいせつと判断されうること、緩和の可能性があること、文書全体との関連で判断することを示した。「四畳半襖の下張」事件は、1980年11月28日の最高裁第二小法廷判決で、描写の程度・比重・思想との関連・構成・緩和の程度という検討項目を挙げ、総合判断の方法を整理した。いずれも、1957年のチャタレイ事件判決を出発点に、判断の基準を少しずつ具体化していった過程として読むことができる。他の風俗・表現規制の歴史は風俗の歴史一覧から探せる。
よくある質問
Q. 「悪徳の栄え」事件の最高裁判決はいつですか?
A. 1969年(昭和44年)10月15日の大法廷判決です。上告が棄却され、澁澤龍彦と石井恭二の有罪が確定しました。
Q. 一審と二審の結論はどうでしたか?
A. 一審の東京地裁は1962年10月に無罪、二審の東京高裁は1963年11月21日に逆転で有罪としました。罰金は石井恭二が10万円、澁澤龍彦が7万円とされます。
Q. 「悪徳の栄え」判決で反対意見を述べた裁判官は誰ですか?
A. 横田正俊、大隅健一郎、奥野健一、田中二郎、色川幸太郎の5人です。
Q. 「四畳半襖の下張」事件はいつ決着しましたか?
A. 1980年(昭和55年)11月28日に最高裁第二小法廷が上告を棄却し、有罪が確定しました。裁判官全員一致の意見でした。
Q. 「四畳半襖の下張」の作者は永井荷風ですか?
A. 冒頭に「金阜山人戯作」とあることから荷風の作と伝えられますが、国文学者は断言を避けており、確定していません。
Q. わいせつかどうかを決める基準は何ですか?
A. 判例は、文書全体を見て、主として読者の好色的興味にうったえるかを、その時代の健全な社会通念に照らして判断するとしています。
参考にした資料
- 裁判所「裁判例結果詳細 昭和39(あ)305 猥褻文書販売、同所持」(昭和44年10月15日大法廷判決)https://www.courts.go.jp/hanrei/50747/detail2/index.html
- 最高裁判所大法廷判決(昭和44年10月15日、刑集23巻10号1239頁)判決全文 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-50747.pdf
- 裁判所「裁判例結果詳細 昭和54(あ)998 わいせつ文書販売」(昭和55年11月28日第二小法廷判決)https://www.courts.go.jp/hanrei/51184/detail2/index.html
- 最高裁判所大法廷判決(昭和32年3月13日、刑集11巻3号997頁)https://www.courts.go.jp/hanrei/51271/detail2/index.html
- 弁護士ドットコムニュース「表現と“わいせつ”のせめぎ合い、サド裁判はどんな事件?」https://www.bengo4.com/c_18/n_19109/
- Wikipedia「悪徳の栄え事件」「四畳半襖の下張事件」「四畳半襖の下張」「わいせつ物頒布等の罪」
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画像の出典
- 古い絵・絵葉書・古地図: パブリックドメイン(Wikimedia Commons)
- 写真: Wiiii 撮影(CC BY-SA 3.0)/Wikimedia Commons
- 年表: 本記事の内容をもとに当サイトで作成

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