遊廓・花街・赤線の歴史完全ガイド|東日本の旧遊廓と花街30選

このページは、歴史と資料の整理であり、特定の店舗や営業を紹介・案内するものではない。現在営業している場所の案内もしない。各地の現況は、公的資料や自治体の資料で確認できた範囲だけを書いている。年号や数字は資料によって食い違うことがあり、子記事では併記している。最終確認日は2026年10月。旧遊廓や花街の跡を歩くときは、いまも人が暮らす町だと考えて、撮影や立ち入りに配慮しろ。

吉原の名前は誰でも知っている。だが、小樽や函館、仙台、水戸、松本、浜松となると、どこにどんな遊里や花街があったのか、ほとんど語られない。同じ「花街」でも、向島や神楽坂、金沢は遊廓とは別の成り立ちだ。

このページは、北海道・東北、関東、甲信越・北陸、静岡の旧遊廓と花街30本をまとめた地図だ。地域の一覧記事、東京の吉原や赤線、東京の花街、港町や温泉地、城下町までを、確認できた資料の範囲で整理している。西日本と、遊廓・花街・赤線の用語の概説は別の柱にある。

このページの使い方

地域で探すなら、ロードマップの地域の行から入れ。言葉の違いが気になるなら、先に西日本編の概説で用語を押さえるとスムーズだ。各記事の中身は、グループごとの要点で2行ずつ確認できる。

要点

  • 遊廓と花街は別物。向島・神楽坂・古町・金沢の茶屋街は、芸妓の町として読む
  • 町の移転は、大火のたびに起きた例が多い。小樽、函館、青森、飯坂、秋田などで繰り返し出てくる
  • 吉原は、元吉原と新吉原で場所も時代も別。1923年の弁天池の出来事、1958年の終わりまで年表で追える
  • 群馬は廃娼県で、乙種料理店という形が実態だった。遊廓が語られにくい理由がそこにある
  • 年号や数字は資料で割れる。川崎の移転年は1902・1903・1904年と分かれ、空襲の死者数も資料ごとに違う
  • 営業が続く地域は、歴史の確認だけ。店の紹介や利用の案内には触れない

悩み別・読む順番ロードマップ

知りたい地域や町に近い行から入れ。30本すべてが、どこかの行に載っている。

悩み・場面 読む記事
北海道・東北の旧遊廓を一覧で 北海道・東北の一覧
小樽・函館の港町 小樽、函館
青森・秋田・鶴岡の城下と港 青森、秋田・川反、鶴岡
仙台と福島の温泉地 仙台、飯坂温泉
茨城・栃木・群馬の色街 水戸、宇都宮、群馬の廃娼県
関東の旧遊廓を一覧で、東京の跡 関東の一覧、東京の旧赤線・旧遊廓跡
吉原の歴史、宿場、赤線の鳩の街 吉原、千住宿、鳩の街
東京の花街(芸者と料亭) 向島、深川、神楽坂、円山町
横浜・川崎 黄金町・真金町、川崎・堀之内
甲信越・北陸を一覧で、新潟と松本 中部・北陸の一覧、新潟・古町、松本
金沢の茶屋街、三国の湊町 金沢の三茶屋街、三国
静岡・清水、浜松、熱海 静岡・清水、浜松、熱海

北海道・東北

北前船やニシン景気の港町、城下町、温泉地。大火で町が動いた例が多い。まず一覧記事で全体をつかめ。

関東(茨城・栃木・群馬と概観)

公認の遊廓が長く置かれなかった水戸、宿場から新地へ移った宇都宮、廃娼県の群馬。関東は、東京以外にも見るべき町が多い。

東京の遊廓・赤線・花街

吉原と赤線、宿場、そして遊廓とは別に育った芸妓の町。東京だけで成り立ちの違う町が並ぶ。

神奈川・甲信越・北陸

港町、北前船の湊町、城下町、茶屋町。歴史の流れも現在の姿も、町ごとにまったく違う。

静岡

駿府の公認遊廓、港の花街、東海道の宿場町、温泉芸妓の町。静岡県だけで、4つの異なる形がある。

町の型の早見表|遊廓・花街・宿場・赤線

同じ「色街」の一言でくくると、成り立ちの違いが見えなくなる。このガイドに出てくる町を、型ごとに並べた。1つの町が複数の型をまたぐことも多いから、目安として使え。

型 出てくる町の例 記事
公認・指定された遊廓 吉原(元吉原と新吉原)、仙台、函館、小樽、青森 吉原、仙台、函館
宿場の飯盛女から 千住宿、川崎宿、宇都宮 千住、川崎、宇都宮
芸妓の町(花街) 向島、深川、神楽坂、新潟の古町、金沢の茶屋街、熱海 向島、古町、金沢
北前船・港町の遊里 鶴岡、新潟、三国 鶴岡、三国
戦後の赤線・青線 鳩の街、黄金町 鳩の街、黄金町
花街から別の街へ変わった町 円山町(ホテル街・ライブハウス街)、秋田の川反(県内一の歓楽街) 円山町、川反

町が動いたきっかけ別の例

移転や転機を横に並べると、大火と戦災と法令が町を動かしてきたことが分かる。年号の細部は各記事で確かめろ。

きっかけ 例 記事
大火 小樽は大火のたびに移り、函館は1907年の大火後に大森へ集約、青森は1910年の大火後に旭町へ移った。秋田の川反は1886年の俵屋火事、熱海は1950年の大火が転機 小樽、函館、青森
戦災 東京大空襲で焼けた玉の井の業者が鳩の街を開いた。川崎大空襲は1945年4月15日 鳩の街、川崎
法令・制度 群馬の廃娼建議(1882年)から1893年末の実施。1958年の売春防止法 群馬
都市の事情 仙台は国分町から常盤丁、新常盤町へ。鶴岡は1929年に双葉町へ、浜松は1922年に鴨江へ集団移転 仙台、鶴岡、浜松
湊・産業の変化 三国は築港、鉄道、漁港への転換で衰退。小樽はニシン景気に支えられた 三国

資料を読むときの注意|年号や数字が割れるところ

  • 川崎の南町への移転年は、1902年・1903年・1904年と資料で分かれる。堀之内を赤線とする資料と青線とする資料もある
  • 川崎大空襲の死者数は、768人、1,001人、1,520人などと資料ごとに違う。戦前の堀之内の店数は、公的資料で確認できなかった
  • 静岡・清水の遊廓と花街は、資料で食い違う点が整理されている。成立の年や数字を1つに決めつけている記事は疑え
  • 吉原の終わりは1958年だが、資料によっては1957年とされる。現況は、公的資料で言える範囲を確かめてから読め

よくある質問

吉原は、いつ、どこにあった?

元吉原と新吉原は別の場所で、別の時代だ。明暦の大火を経て新吉原へ移り、1923年に弁天池の悲劇があり、1958年の売春防止法で終わった。年表で追える。 詳しくは吉原の歴史の記事へ。

花街は、遊廓と同じもの?

別の成り立ちだ。向島や神楽坂は芸妓の町として育ち、新潟の古町は1898年に遊廓と花街が分かれた。金沢のひがし・にし・主計町は、遊廓ではなく茶屋町・茶屋街として読む。 詳しくは向島の記事、古町の記事、金沢の記事へ。

群馬で遊廓が語られにくいのは、なぜ?

1882年の県会の廃娼建議から1893年末に実施された廃娼県だったためだ。実態は乙種料理店という形で、前橋の榎町・紺屋町・萱町、高崎の柳川町が語られる。 詳しくは群馬の記事へ。

渋谷の円山町や横浜の黄金町は、昔は何だった?

円山町は明治20年ごろの芸者屋に始まり、1913年に三業地となった花街で、のちにホテル街、ライブハウス街に変わった。黄金町は戦後の高架下の青線から、2005年の浄化とアートのまちづくりへ進んだ。営業の案内はしない。 詳しくは円山町の記事、黄金町の記事へ。

年号や数字が記事によって違うのは、なぜ?

出典ごとに数えるものが違うからだ。川崎は移転年が3通り、空襲の死者数も3通り以上ある。子記事は、どの出典の数字かを書いて併記している。 詳しくは川崎の記事、関東の一覧の記事へ。

関連する他の柱ページ

まとめと次の一歩

東日本の遊里と花街は、港町、城下町、宿場、温泉地と、成り立ちがばらばらだ。そのぶん、大火や戦災や法令で町が動いた筋道を並べると、見え方が変わる。まず気になる地域の行から1本読んで、足りない用語は西日本編の概説で補え。

最終確認日:2026年10月