※本記事は歴史・文化・法制度の解説であり、特定の作品・施設・営業を紹介するものではありません。裁判の経過や年月日は資料によって異なる場合があり、確認できた範囲で記しています。
チャタレイ事件は、D・H・ロレンスの長編小説『チャタレイ夫人の恋人』を伊藤整が訳した本が刑法175条のわいせつ文書にあたるかを争った刑事裁判だ。1950年に小山書店から出た翻訳が摘発され、訳者の伊藤整と出版社社長の小山久二郎が起訴された。判決は1957年3月13日の最高裁大法廷で確定し、「わいせつ」の定義、芸術性との関係、表現の自由と公共の福祉という、その後の裁判が長く参照する枠組みが示された。この記事では、作品の中身ではなく、事件の経過と判決の内容を、裁判所の公開資料で確認できた範囲で整理する。
チャタレイ事件のポイント
チャタレイ事件とは|概要
事件番号は昭和28年(あ)第1713号。裁判所の判例検索では事件名が「猥褻文書販売」とされ、最高裁判所大法廷が昭和32年(1957年)3月13日に上告を棄却した。原審は東京高等裁判所の昭和27年(1952年)12月10日判決で、判例集は刑集11巻3号997頁に載っている。被告人は、訳者の伊藤整(作家)と、版元の小山書店の社長だった小山久二郎の二人だ。
争点は大きく二つあった。一つは、問題の訳書が刑法175条の「猥褻ノ文書」にあたるか。もう一つは、わいせつ文書の販売を処罰することが、憲法21条が保障する表現の自由に反しないかだ。弁護側は芸術作品であることや著者の真摯な意図を挙げて争い、最高裁は、そのどちらも退けた。
『チャタレイ夫人の恋人』と日本での翻訳
原作は、第一次世界大戦で負傷した貴族の夫と、その妻、領地の森番の関わりを軸に、階級社会や工業化への批判、人間の生き方を描いた長編小説だ。最高裁の判決文自体も、この作品を英文学界で名の通った芸術的に高く評価される作品だと認めている。日本では1935年(昭和10年)に健文社から伊藤整訳が出たが、これは性描写を削った版だった。
1950年(昭和25年)4月、小山書店から伊藤整訳の無削除版が上下2巻で発行された。判決に引かれた記載では発行日は4月2日とされる。よく売れ、上下巻あわせて20万部に達したとされるが、この数字は解説書や評伝に載るもので、判決文からは確認できない。ここで注意したいのは、この本が摘発されたのは、日本が占領下にあり、戦前の出版法は廃止されていたものの、刑法175条は残っていた時期だという点だ。
摘発から起訴まで|1950年
解説書などでは、6月26日に訳書が押収され、7月8日に発禁になったと整理されている。日本文芸家協会が7月に緊急の理事会を開いたと伝えられ、文学界にも波紋が広がった。起訴は同じ年の9月で、世界大百科事典も摘発と起訴を1950年9月としている。9月13日に刑法175条違反で伊藤整と小山書店社長が起訴されたとする資料がある。なお、一部の資料は事件の開始を1951年と書くが、これは裁判が始まった年を指すと考えられ、摘発と起訴は1950年だ。
弁護人には正木ひろし、環昌一らが就き、特別弁護人として能勢克男、中島健蔵、福田恆存が出たとされる。文学者や研究者が証人として呼ばれ、作品が芸術として評価されるべきものかが法廷で語られた。
年表|1935年から1996年まで
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1935年 | 健文社から伊藤整訳が出る(性描写を削った版) |
| 1950年4月 | 小山書店から無削除の上下巻が発行される |
| 1950年6〜7月 | 訳書が押収され、発禁となる(6月26日、7月8日とする資料がある) |
| 1950年9月 | 伊藤整と小山久二郎が刑法175条違反で起訴される |
| 1952年1月18日 | 東京地裁。小山に罰金25万円、伊藤は無罪 |
| 1952年12月10日 | 東京高裁。小山に罰金25万円、伊藤に罰金10万円 |
| 1957年3月13日 | 最高裁大法廷が上告を棄却し、有罪が確定 |
| 1964年 | 新潮社から伊藤整訳の版が出る(性描写部分は削除) |
| 1973年 | 講談社から羽矢謙一訳の無修正の完訳版が出る |
| 1996年 | 新潮社から伊藤整訳・伊藤礼補訳の完訳版が出る |

第一審と控訴審|結論が分かれた二つの判決
1952年1月18日の東京地裁判決は、出版社社長の小山久二郎を有罪(罰金25万円)としたが、翻訳者の伊藤整は無罪とした。つまり、第一審では訳書が公衆に販売されたことは認めつつ、翻訳者個人の刑事責任までは認めなかった。
同じ年の12月10日、東京高裁は一審を破棄し、小山を罰金25万円、伊藤を罰金10万円の有罪とした。高裁は、翻訳者の協力の仕方によっては共犯が成立しうるという考え方をとり、伊藤にも責任を認めた。判決は、この訳書の性的な描写が全体の10分の1程度にとどまること、思想や文学として評価できる点があることを認めながら、描写があまりに露骨で詳細なため、刺激が解消されず、わいせつ文書の域を出ないと判断したと、のちの最高裁判決の補足意見が紹介している。
この過程で、後に最高裁でも争われる手続の論点が生まれた。控訴審が、第一審の無罪を、新たな証拠調べをせずに覆して有罪にしてよいのかという問題だ(刑事訴訟法400条ただし書の解釈)。最高裁は、この点を問題ないとした。

朝日新聞社 / パブリックドメイン / Wikimedia Commons

朝日新聞社 / パブリックドメイン / Wikimedia Commons
1957年最高裁大法廷判決|何が示されたか
1957年3月13日の判決は、主文で「本件各上告を棄却する」とした。理由の主な部分は次のとおりだ。
わいせつの定義。戦前の大審院の判例と、最高裁第一小法廷の判決を是認し、わいせつ文書とは「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」だと確認した。判決は、この三つを満たすことが必要だとまとめている。
法の役割。法はあらゆる道徳を維持する任務を負うのではなく、社会秩序の維持に重要な「最少限度の道徳」だけを取り入れる、という立場をとった。刑法175条が定めるわいせつ文書の頒布・販売の禁止も、その最少限度の性道徳を守る趣旨だと説明している。
判断の主体。ある著作がわいせつ文書にあたるかは、事実認定ではなく法解釈・法的価値判断の問題で、裁判所が判断すると述べた。基準になるのは一般社会の良識である社会通念で、これは個々人の認識の平均ではなく、それを超えた集団的な意識だとされる。そのうえで、性に関する社会通念は時と所で変わり、昔なら展示できなかった絵画や出版できなかった小説が今は公刊されていることも認めた。ただし、どの社会でも守られてきた規範として「性行為の非公然性」の原則は動かない限界だ、という見方を示した。
芸術性との関係。判決は、芸術性とわいせつ性は別の次元の概念で、両立しうるものだとした。高度の芸術性があっても、それだけでわいせつ性が消えるとは限らない、とも述べている。作品の性質を見るには、作者の主観的な意図ではなく作品そのものから客観的に判断し、検察官が指摘した12箇所の性的描写は、社会通念上許される限度を超えているとした。
表現の自由と公共の福祉。憲法21条の表現の自由も絶対無制限ではなく、公共の福祉による制限を受けるとした。そして、性的秩序を守り最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなす点に疑問の余地はない、として、本件訳書の出版は公共の福祉に反すると結論した。検閲の禁止があるからといって、わいせつ文書の頒布販売を禁止できなくなるわけではない、という判示もある。
故意の範囲。犯意の成立には、問題の記載があることと、それを頒布・販売することの認識があれば足りる。その記載が刑法上のわいせつにあたるかまで認識している必要はない、と述べた。
判決は、裁判官の真野毅と小林俊三の個別の意見があるほかは、全員一致だった。真野毅の意見は、わいせつは絶対的で不変のものではなく、時代や社会によって変わる相対的な概念だと考えるべきだという立場から、多数意見が使った「性行為の非公然性」の原則という言い方に疑問を示している。ただし、この訳書の描写は当時の社会通念に照らしてわいせつにあたるという結論には、真野も賛成した。
裁判のあと|出版社と翻訳
小山書店は、裁判が長引くなかで融資が受けられなくなり、経営が行き詰まって倒産したとされる。伊藤整自身は、裁判の経験を『裁判』などの著作に記した。伊藤整訳は、判決後に性描写部分を削った版として出版が続けられ、無修正の完訳が日本で刊行されたのは、1973年の講談社(羽矢謙一訳)と、1996年の新潮社(伊藤整訳・伊藤礼補訳)だ。
この判決で固まった枠組みは、のちの裁判で繰り返し引用された。1969年の「悪徳の栄え」事件では、芸術的・思想的価値がある文書でも、わいせつ性を認めることを妨げないという立場が確認され、1980年の「四畳半襖の下張」事件では、文書全体を総合的に見る判断方法が整理された。出版物をめぐる戦後の取り締まりの流れは、ビニ本・裏本の歴史や風営法の歴史の記事でも触れている。
判決をどう読むか|押さえておきたい三点
第一に、この判決は、作品の価値を「評価」した判決ではない。裁判所は、作品が芸術的に高い水準にあることは認めたうえで、刑法175条が問うのはそれとは別の次元の問題だと整理した。第二に、判断基準は「社会通念」であり、時代によって変わりうることを、判決自身が認めている。第三に、この判決のあとも、わいせつの判断方法は最高裁の判例によって見直され、表現の自由との関係を問う裁判が続いた。この判決は、その出発点にあたる。
まとめ
チャタレイ事件は、1950年に摘発された『チャタレイ夫人の恋人』の伊藤整訳をめぐる刑事裁判で、1952年の東京地裁・東京高裁で結論が分かれ、1957年3月13日の最高裁大法廷判決で有罪が確定した。判決は、わいせつの三要件、社会通念による判断、芸術性とわいせつ性は別次元であること、表現の自由も公共の福祉に服することを示した。この枠組みは、1969年の「悪徳の栄え」事件や1980年の「四畳半襖の下張」事件にも引き継がれ、日活ロマンポルノをめぐる裁判などの議論の土台になった。日本の風俗史・表現規制史をたどる記事は風俗の歴史一覧にまとめている。
よくある質問
Q. チャタレイ事件はいつ起きましたか?
A. 訳書が出たのは1950年4月、摘発・起訴は同年で、最高裁大法廷の判決が出たのは1957年3月13日です。
Q. 誰が有罪になったのですか?
A. 出版社の小山書店社長だった小山久二郎と、訳者の伊藤整です。控訴審では小山に罰金25万円、伊藤に罰金10万円が言い渡されました。
Q. 第一審で伊藤整が無罪だったのはなぜですか?
A. 1952年1月18日の東京地裁は、小山を有罪としつつ伊藤を無罪としました。理由の詳細は判決の原文で確認する必要があります。
Q. 最高裁はわいせつをどう定義しましたか?
A. 「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」という従来の基準を是認しました。
Q. 芸術作品ならわいせつにならないのですか?
A. 最高裁は、芸術性とわいせつ性は別の次元の概念で、芸術的な作品でもわいせつ性を持つことがあるとしました。後の「悪徳の栄え」事件では、芸術性・思想性が刺激を和らげて処罰の対象外になる場合があることも述べられています。
Q. 今も『チャタレイ夫人の恋人』は読めますか?
A. 日本では1996年に新潮社から完訳版が出ており、その後も複数の訳が流通しています。
参考にした資料
- 裁判所「裁判例結果詳細 昭和28(あ)1713 猥褻文書販売」(昭和32年3月13日大法廷判決)https://www.courts.go.jp/hanrei/51271/detail2/index.html
- 最高裁判所大法廷判決(昭和32年3月13日、刑集11巻3号997頁)判決全文 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-51271.pdf
- Wikipedia「チャタレー事件」「チャタレー夫人の恋人」「伊藤整」
- コトバンク「チャタレー裁判」(世界大百科事典)https://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%BC%E8%A3%81%E5%88%A4-326215
- 文春オンライン「チャタレイ裁判で世間の注目を浴びた伊藤整」https://books.bunshun.jp/articles/-/3577
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- 年表: 本記事の内容をもとに当サイトで作成

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