※本記事は歴史・文化・法制度の解説であり、特定の作品・施設・営業を紹介するものではありません。裁判の経過や年月日は資料によって異なる場合があり、確認できた範囲で記しています。
1970年代の日本では、映画と書籍をめぐって、刑法175条のわいせつ罪が争われる裁判が続いた。1972年に始まった日活ロマンポルノの裁判と、1976年に始まった大島渚監督『愛のコリーダ』の書籍をめぐる裁判だ。どちらも最終的には無罪となり、一方で同じ時期、雑誌掲載の小説をめぐる裁判では有罪が確定している。この記事では、二つの裁判の経過を、映画の審査機関である映倫、先行する『黒い雪』事件、そして刑法175条の仕組みと合わせて整理する。作品の性的な内容には触れず、手続と争点、判決の言葉だけを扱う。
この記事のポイント
刑法175条の仕組み|何が処罰されるのか
刑法175条は1907年(明治40年)に制定された。わいせつな文書、図画などを頒布したり公然と陳列したりする行為と、有償で頒布する目的でそれらを所持する行為を処罰する。2011年(平成23年)の改正で、対象にわいせつな電磁的記録が加えられた。現在の法定刑は、2年以下の拘禁刑、250万円以下の罰金、科料のいずれか、または拘禁刑と罰金の併科だ。2022年の刑法改正で懲役は拘禁刑に改められ、2025年6月1日に施行されている。
映画の上映は、フィルムを「図画」とみて、これを不特定多数に見せる「公然陳列」にあたるかが問われる。日活ロマンポルノの事件や『黒い雪』事件の罪名が「わいせつ図画公然陳列」なのは、そのためだ。これに対して書籍の場合は、わいせつ「文書」を販売したり頒布したりする罪になる。『愛のコリーダ』が、映画ではなく書籍の形で起訴されたことも、この区別から理解できる。「わいせつ」の意味は、チャタレイ事件(1957年)、「悪徳の栄え」事件(1969年)、「四畳半襖の下張」事件(1980年)の最高裁判例が積み重ねてきた。
映倫とは|映画の事前審査と『黒い雪』事件
日本の映画には、公開前に自主的な審査を受ける仕組みがある。1949年(昭和24年)、「映画倫理規程」が定められて映画倫理規程管理委員会(旧映倫)が発足し、1956年の改組で映画倫理管理委員会(新映倫)が作られた。現在の映画倫理機構につながる組織で、審査を通った作品が公開される流れが続いてきた。
この仕組みと刑法175条の関係が最初に問われたのが、武智鉄二監督の映画『黒い雪』(1965年、日活配給)をめぐる事件だ。映倫の審査を通った映画の上映が、わいせつ図画公然陳列罪で起訴された。東京高等裁判所は、1969年(昭和44年)9月17日の判決(昭和42年(う)第1926号)で、二つの点を示した。一つは、映画は観客に与える現実感や心理的な影響が文書より直接的で、年少者や教育を十分に受けていない者でも容易に受け取れるため、わいせつ性の判断でその点を特に考慮すべきだということ。もう一つは、映画自体は刑法上のわいせつ図画にあたる場合でも、映倫の審査を通っており、制度の発足から約16年を経て初めて起訴されたことなどから、上映の関係者が適法だと信じる相当な理由があったとして、犯意を欠くとしたことだ。刑法175条違反の無罪事例として、よく挙げられる判決だ。
日活ロマンポルノ裁判|1972年から1980年
摘発と起訴
日活がロマンポルノ路線を始めたのは1971年11月だ(日活ロマンポルノの歴史に詳しい)。摘発は翌1972年に始まった。2月3日、日活の映画本部室長ら4人が警視庁に出頭して取り調べを受け、9月には、日活とプリマ企画の関係者6人がわいせつ図画公然陳列の容疑で逮捕された。映倫の審査員3人も、その幇助の容疑で逮捕されている。
問題とされたのは、日活製作・配給の『愛のぬくもり』『恋の狩人・ラブハンター』『OL日記・牝猫の匂い』と、プリマ企画製作・日活配給の『女高生芸者』の計4作品だ。いずれも映倫の審査を通った作品で、映倫が刑事責任を問われるのは初めてのことだった。映画製作者連盟が支援の対策委員会をつくるなど、問題は日活一社にとどまらず、映画界全体に広がった。
1978年の東京地裁と1980年の東京高裁
1978年(昭和53年)6月、東京地裁は被告全員に無罪を言い渡した。報じられた判決の要旨によれば、性描写の許される範囲は、時代とともに変わる社会的通念によって決まるとし、映倫の審査は社会的な評価と信頼が確立しているため尊重すべきだと判断した。検察は控訴した。
1980年7月(東京高裁判決は7月18日とされる)、東京高裁も、一審とほぼ同様の理由で検察の主張を退け、無罪とした。検察は上告を断念し、無罪が確定した。足かけ9年の裁判だった。地裁判決の日と起訴の日は、確認できた資料に明記がないため、月までを記した。

撮影・作者: 663highland / CC BY 2.5 / Wikimedia Commons
『愛のコリーダ』をめぐる裁判|映画と書籍
映画の製作と日本での公開
『愛のコリーダ』は、1936年に起きた阿部定事件を題材にした大島渚監督の作品で、1976年に公開された。日本とフランスの合作で、フランスのアルゴス・フィルムなどが製作に加わった。厳しい検閲法規のもとでは構想どおりの映画が成立しないため、製作は形式上フランス企業の作品とされ、撮影済みのフィルムは現像と編集のためにフランスへ送られたと伝えられる。
日本での公開は1976年10月16日だった。フランスでの公開は9月15日で、日本は「逆輸入」の形になった。7月19日に東京税関で審査が始まり、約40日後の8月25日に通知を受けたが、税関の監視下で作業する保税扱いという条件がついたという。日本公開版は、画面にぼかしなどの修正を加えたものだった。
書籍の摘発と無罪判決
裁判の対象になったのは、映画そのものではなく、三一書房が出した同名の単行本だ。この本は、映画の脚本と宣伝用の写真などを載せていた。1976年7月28日、警視庁がこれをわいせつ図書販売の容疑で摘発し、大島監督の自宅も家宅捜索を受けた。その後、監督と出版社の社長がわいせつ物頒布罪で起訴された。
被告側は、刑法175条そのものが憲法に反すると主張し、憲法判断を求めた。1979年(昭和54年)10月19日、東京地裁は無罪を言い渡した。控訴審は、東京高裁の1982年(昭和57年)6月8日の判決とされ、検察の主張を退けて無罪が確定した。一審・二審とも、従来の判例を基本的に維持したうえで、この書籍はわいせつ物にあたらないという結論だった。法廷で大島監督が述べた「わいせつ、なぜ悪い」という趣旨の言葉は、当時のマスコミで大きく取り上げられた。
その後の公開
映画は2000年12月2日に「完全ノーカット版」として再公開されたが、映倫の規定により一部は修正されたままだった。2021年5月7日には、2K修復版が全国で公開されている。

二つの裁判を比べる
| 日活ロマンポルノ事件 | 『愛のコリーダ』事件 | |
|---|---|---|
| 対象 | 映画4作品の上映 | 映画の脚本・写真を載せた書籍 |
| 問われた行為 | わいせつ図画公然陳列(幇助も) | わいせつ文書の頒布・販売 |
| 摘発 | 1972年(2月に出頭、9月に逮捕) | 1976年7月28日 |
| 被告 | 日活・プリマ企画の関係者と映倫審査員 | 監督と出版社社長 |
| 一審 | 1978年6月、東京地裁で無罪 | 1979年10月19日、東京地裁で無罪 |
| 二審 | 1980年7月、東京高裁で無罪 | 1982年6月8日、東京高裁で無罪 |
| 特徴 | 映倫審査員が被告になった | 刑法175条の違憲が主張された |

撮影・作者: Wiiii / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
同じ時期の周辺の動き|税関検査と有罪判決
『愛のコリーダ』の撮影済みフィルムが一度海外に出て、日本に戻る際に税関の審査を受けたことは、別の論点とも関係している。税関で輸入される書籍や図画を検査することが、憲法21条2項の禁じる「検閲」にあたるかが争われた事件で、最高裁大法廷は1984年(昭和59年)12月12日に、税関検査は「検閲」にあたらないとし、わいせつ表現物の輸入規制も憲法21条1項に違反しないとした(昭和57年(行ツ)第156号)。この事件は『愛のコリーダ』とは別の訴訟だが、同じ1970〜80年代に、表現の規制をめぐる憲法上の線引きが整理されていった流れの一部だ。
また、1972年に始まった「四畳半襖の下張」事件は、雑誌掲載の小説が対象で、一審・二審とも有罪となり、1980年11月28日の最高裁判決で確定している。同じ頃に、映画の裁判では無罪、雑誌の裁判では有罪という結果が並んだことになる。それぞれの判決は事案の内容や手続に応じて判断されたもので、単純に比較できるものではない。出版物の規制の流れはビニ本・裏本の歴史に、成人映画やビデオの動きはアダルトビデオの歴史にまとめている。
三つの無罪判決が残した論点
映画をめぐる三つの無罪判決(『黒い雪』『日活ロマンポルノ』『愛のコリーダ』)が、それぞれ判断の中心に置いたものは異なる。『黒い雪』は、映倫の審査を通っていたことが犯意を否定する事情になった。日活ロマンポルノの地裁判決は、性描写の許容範囲が時代で変わる社会通念によること、映倫の審査を尊重すべきことを述べた。『愛のコリーダ』の書籍は、従来の判例の枠組みを維持したうえで、わいせつ物にあたらないとされた。いずれの裁判でも、刑法175条そのものが廃止されたり、違憲と判断されたりしたわけではない。判例が示した「その時代の社会通念」で判断する、という考え方が、個々の作品に適用された結果だと整理できる。風営法の歴史の記事とあわせて読むと、1980年代の規制の変化もつかみやすい。
まとめ
日活ロマンポルノ裁判は、1972年の摘発から、1978年6月の東京地裁、1980年7月の東京高裁の無罪で決着した。映倫の審査員が被告になった点が特徴だった。『愛のコリーダ』は、映画ではなく書籍が起訴され、1979年10月19日の東京地裁、1982年6月8日の東京高裁で無罪となった。その前には、映倫審査を通った映画の上映を、犯意がないとして無罪にした1969年の『黒い雪』判決がある。いずれも、刑法175条の枠組みのなかで、わいせつ性や犯意を判断した裁判だった。他の風俗・表現規制の歴史は風俗の歴史一覧から探せる。
よくある質問
Q. 日活ロマンポルノ裁判で問われた作品は?
A. 『愛のぬくもり』『恋の狩人・ラブハンター』『OL日記・牝猫の匂い』と、プリマ企画製作・日活配給の『女高生芸者』の4作品です。
Q. 日活ロマンポルノ裁判の結果は?
A. 1978年6月に東京地裁、1980年7月に東京高裁が無罪を言い渡し、検察が上告を断念して確定しました。
Q. 映倫の審査員も被告になったのですか?
A. 1972年9月に、日活・プリマ企画の関係者6人と、映倫の審査員3人が、わいせつ図画公然陳列罪または幇助の容疑で逮捕されました。映倫が刑事責任を問われた初めての事例とされます。
Q. 『愛のコリーダ』は映画が起訴されたのですか?
A. いいえ。起訴されたのは、映画の脚本と写真を載せた三一書房の単行本で、大島渚監督と出版社社長が被告になりました。
Q. 『愛のコリーダ』の裁判の結果は?
A. 1979年10月19日に東京地裁、1982年に東京高裁が無罪を言い渡しました。弁護側は刑法175条の違憲を主張しましたが、従来の判例を基本的に維持したうえで、書籍はわいせつ物にあたらないとされました。
Q. 『黒い雪』事件はどういう裁判ですか?
A. 映倫の審査を通った映画の上映が、わいせつ図画公然陳列罪で起訴された事件です。東京高裁は1969年9月17日の判決で、映倫の審査を通っていたことなどから、上映関係者に犯意がなかったとしました。
参考にした資料
- 裁判所「裁判例結果詳細 昭和42(う)1926 猥褻図画公然陳列被告事件」(昭和44年9月17日東京高裁判決)https://www.courts.go.jp/hanrei/20832/detail2/index.html
- 裁判所「裁判例結果詳細 昭和57(行ツ)156 輸入禁制品該当通知処分等取消」(昭和59年12月12日大法廷判決)https://www.courts.go.jp/hanrei/52690/detail2/index.html
- 時事ドットコム写真特集「「愛のコリーダ裁判」で東京地裁から無罪判決を受け、記者会見する大島渚監督」(1979年10月19日)https://www.jiji.com/jc/d4?p=osn100-jlp01173585&d=d4_psn
- CiNii「日活ロマンポルノ裁判,被告全員に無罪判決」(『新聞研究』1978年8月号)https://cir.nii.ac.jp/crid/1523106605404305920
- Wikipedia「日活ロマンポルノ事件」「愛のコリーダ」「映画倫理機構」「わいせつ物頒布等の罪」、英語版Wikipedia「In the Realm of the Senses」
- Yahoo!ニュース エキスパート「前例なき性愛表現に挑んだ『愛のコリーダ』」https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0fa4518e633408a513ede07fa1c0025d1a51a0e2
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画像の出典
- 写真: 663highland 撮影(CC BY 2.5)/Wikimedia Commons
- 写真: Wiiii 撮影(CC BY-SA 3.0)/Wikimedia Commons
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