※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の作品・施設・営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
ピンク映画は、大手の映画会社ではなく、独立系の小さな製作・配給会社がつくってきた成人向けの劇映画を指す日本の映画用語だ。1962年の『肉体の市場』を第1号とする見方が一般的で、1960年代には独立プロダクションの群雄割拠の時代を迎え、その後はロマンポルノの登場、アダルトビデオの台頭、フィルムからデジタルへの移行を経て、いまは細々と続く産業になっている。この記事では作品の中身ではなく、成り立ち、制度、上映館、製作本数の移り変わりを歴史として整理する。
ピンク映画の歴史
ピンク映画とは|大手ではなく独立系がつくった成人映画
ピンク映画という言葉は、日本の成人向け映画のうち、大手以外の映画会社が製作・配給したものを指す業界用語として使われてきた。映画倫理委員会(映倫)の審査を受けて成人向けの区分で公開される点は大手作品と同じで、現在の区分でいえばR18+にあたる。映画館のスクリーンで観る商業映画であり、審査を受けずに流通した非合法のフィルムやビデオとは成り立ちが違う。
呼び名の由来には諸説あるが、よく知られているのは、記者の村井實が1963年に『情欲の洞窟』の取材中に「おピンク映画」という言葉をつくり、のちに「お」が取れて定着したという説明だ。一方、「ポルノ」という言葉が映画の宣伝で広く使われるようになるのは、東映が1971年7月に『温泉みみず芸者』を公開したころからとされる。つまり、「ポルノ」は大手が使い始めた呼び方で、「ピンク」はそれ以前から独立系の作品を指して使われていた、という整理になる。大手の日活が1971年11月に始めた路線については、日活ロマンポルノの歴史の記事で詳しくまとめている。
前史|映倫の成人指定とブルーフィルムの上映禁止
ピンク映画が生まれる土台には、映画の自主規制の仕組みの整備がある。1949年に映画倫理規程が制定されて旧映倫が発足し、1954年8月には「青少年向」「成人向」を選定する選定が始まった。1956年12月には新しい映倫(映画倫理管理委員会)が発足し、1957年には「成人向映画」が「成人映画」と改称されている。ただし、これらの年は資料によって細部が異なるため、おおよその流れとして読んでほしい。
もう一つの背景として、ある解説は、1950年代までに浅草などの映画館で半ば公然と上映されていた短編の秘密映画が上映禁止になったことを挙げる。仕事を失ったニュース映画や教育映画の関係者が、小さなニュース映画専門館に向けて、お色気をテーマにした短編や中編を作り始めた、という説明だ。初期の作品は下着までしか見せない内容だったともいわれる。ピンク映画がそうした流れの延長にあったのか、独立した動きだったのかは、はっきりとは分からない。
1962年『肉体の市場』|第1号とされる作品
第1号とされるのは、1962年に公開された『肉体の市場』(小林悟監督)だ。協立映画が製作し、大蔵映画が配給した。映倫が成人映画に指定していること、独立プロダクションの製作であること、劇映画であること、という条件を満たした最初の作品だと説明される。ただし、1963年の東映『五番町夕霧楼』や日活『にっぽん昆虫記』を第1号とする見方もあり、定説が一つに固まっているわけではない。
公開後にこの作品は、わいせつ容疑で警視庁の摘発を受けたと伝えられる。しかし再編集された版が客を集め、ヒットにつながった。英語版Wikipediaは、約800万円の製作費で1億円を超える収入を上げたと記している。この数字は資料によって幅があるが、小さな資本の作品が大きな利益を生んだことが、その後の参入を呼び込んだと考えられる。
配給を担った大蔵映画は、大蔵貢が1960年12月に新東宝の社長を退いたあと、新東宝へ作品を供給していた富士映画を母体に、1962年1月に設立されたとされる。新東宝は1961年に倒産しており、旧来の映画会社が揺らぐなかで、大蔵映画は成人向け作品を主力とする方向へかじを切った。関東では配給網の「OPチェーン」をつくり、専門会社としての体制を固めていく。
1960年代|低予算・早撮りと独立プロの時代
1960年代のピンク映画の特徴は、徹底した低予算と早撮りにある。新聞報道や百科的な解説では、予算は300万円前後、撮影は3日から1週間ほどが基本とされる。フィルム代などを除くと、実際に使える金額はさらに少ない。この制約のなかで、若手の監督やスタッフが短い期間に何本も撮る経験を積めたことが、のちに「映画の現場の学校」と呼ばれる理由になった。
1964年には、小川欽也監督の『妾』で、場面の一部だけを色づけする「パートカラー」が初めて採り入れられ、以後の売り物の一つになった。1965年には、映倫が審査した成人映画233本のうち大手5社の作品は17本にとどまり、残りの大半がピンク映画だった。同じ年に若松孝二が若松プロダクションを設立し、『壁の中の秘事』をベルリン国際映画祭に出品している。団地を舞台に現代人の性を描いたこの作品は、海外の映画祭の場で「国辱」と非難されたとも伝えられ、国内でも議論を呼んだ。1965年には武智鉄二監督の『黒い雪』もわいせつの容疑で摘発され、裁判になった。表現と法の境目をめぐる緊張が、この時代のピンク映画につねに付きまとっていた。
上映館の側でも動きがあった。1960年代の半ばには、大手の参入を防ぐ狙いもあって、新東宝興業や大蔵映画が全国の成人映画館のチェーン化を進めた。ピンク映画の専門館は、1968年に約200館、1970年には220館となり、東宝系の約160館を上回ったという記述がある。もっとも、館数は資料によって数字に開きがあり、正確な全国統計があるわけではない点には注意が必要だ。作品は2本立てや3本立てで上映されることが多かった。
1970年代|大手の参入とロマンポルノ
1970年代に入ると、テレビの普及で観客を失った大手が成人映画に目を向ける。1970年には東映セントラルフィルムや東活、ミリオンフィルムなど、大手系・準大手系の製作会社が相次いで現れた。1971年7月には東映が『温泉みみず芸者』を公開して「ポルノ」の語を広め、同年11月20日には日活が『団地妻 昼下りの情事』などで日活ロマンポルノを始めた。独立系の小さな会社がつくるピンク映画と、撮影所を持つ大手がつくるポルノ映画という二本立ての構図は、この時期にできあがる。
映画史の研究では、1970年代の終わりには、ピンク映画とロマンポルノを合わせた成人映画が、日本映画の年間製作本数の7割を超えたとの指摘もある(英語版Wikipediaが引くローランド・ドメニグ氏の研究による)。業界の主力がそれだけ成人映画に傾いていたことになる。同じ時代の夜の娯楽文化については、キャバレー・グランドキャバレーの昭和史やストリップ劇場の歴史の記事もあわせて読むと、背景が見えやすい。
ピンク映画が育てた人材|若松孝二から滝田洋二郎まで
ピンク映画は、のちの日本映画を支える人材の出発点にもなった。若松孝二は2012年10月に76歳で亡くなったが、社会の矛盾を衝く作品を撮り続けた。小川欽也、渡辺護、山本晋也らの名も、ピンク映画の歴史を語るうえで欠かせない。のちの世代では、『おくりびと』(2008年)で米国のアカデミー賞外国語映画賞を受けた滝田洋二郎や、『Shall we ダンス?』(1996年)の周防正行が、ピンク映画の出身者として挙げられる。
1980年代の終わりから90年代にかけて登場した佐野和宏、サトウトシキ、瀬々敬久、佐藤寿保の4人は、「ピンク四天王」と呼ばれる。もともとは不満を持った劇場主が皮肉まじりにつけた呼び名だとされるが、のちに評価の言葉として定着した。1989年にはピンク映画の年間ベストを選ぶ「ピンク大賞」も始まっている。
年表で見るピンク映画
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1949年 | 映倫の前身が発足し、映画倫理規程が制定される |
| 1954年8月 | 映倫が「青少年向」「成人向」の選定を始める |
| 1962年 | 『肉体の市場』が公開され、第1号とされる。大蔵映画が成人映画に軸足を移す |
| 1963年 | 「おピンク映画」という言葉が生まれたとされる |
| 1964年 | 『妾』で初のパートカラーが採用される |
| 1965年 | 映倫審査の成人映画233本中、大手5社は17本。若松プロ設立、『壁の中の秘事』がベルリン映画祭に出品される |
| 1968〜70年 | ピンク専門館は約200館(1968年)から220館(1970年)とされる |
| 1971年 | 7月に東映『温泉みみず芸者』、11月に日活ロマンポルノ開始 |
| 1980年代前半 | ピンク映画の最盛期とされる |
| 1988年 | 日活がロマンポルノの製作を終える |
| 1989年 | 「ピンク大賞」が創設される |
| 1990年 | 東活が撤退する |
| 2012年 | 製作本数が41本に落ち込んだと報じられる |
| 2014年 | 新東宝映画の新作公開が途絶える |
| 2015年 | オーピー映画が完全デジタル制作へ移行。R15+版の企画「OP PICTURES+」が始まる |
| 2020年以降 | 新作の公開は減り、2023年時点で月1〜2本のペースとされる |

衰退の流れ|アダルトビデオの普及と撤退する大手
1980年代の前半は、ピンク映画が最も勢いを保った時期とされる。しかし、家庭用ビデオデッキの普及とともにアダルトビデオが市場を広げると、状況は一変した。映画館に足を運ばなくても、自宅で、早送りもしながら観られる映像が手に入るようになったからだ。ピンク映画は映倫の審査を受け、映画館で最初から最後まで観る形式だという点が、AVとの対比でよく語られる。AVの歴史については、アダルトビデオの歴史で詳しく触れている。
1980年代後半には、大手系の製作会社が次々と撤退した。1988年に日活ロマンポルノの製作が終わり、1990年には東活が撤退する。1990年代に市場は大きく縮み、製作本数も減っていった。北陸中日新聞が2013年に報じたところでは、最盛期には年200本以上あった製作本数は、2000年代半ばに100本を切り、2012年には41本まで落ち込んだ。1985年の新しい風営法の施行など、性風俗をめぐる規制の強まりも、この時期の環境の変化として押さえておきたい。法の流れは風営法の歴史(1948・1985・1998年)にまとめてある。
現在|デジタル化と、細く続く製作
富士フイルムが映画用フィルムの生産を終えたことなどから、いまのピンク映画の製作会社は、すべてデジタルでの撮影に移っている。大蔵映画の関連会社であるオーピー映画は、2015年1月の公開作から完全デジタル制作となった。新東宝映画は2014年以降、新作の公開がなく、エクセスフィルムも活動を休止している。このため、2015年以降の新作は、事実上オーピー映画が年間30本台で支える形になり、2020年以降はその本数もさらに減って、2023年時点で月に1〜2本の公開ペースとされる。
オーピー映画は2015年から、通常のR18+版とは別にR15+版を作る「OP PICTURES+」の企画を始め、一般の映画館で上映するイベントを重ねている。海外の映画祭で取り上げられる例も増えたといわれる。一方、上映館の数は大きく減った。2015年ごろの報道では、10年前に国内で100館以上あったピンク映画館が半分以下になったとされ、東京では2016年の閉館で専門館が4館になったと報じられた。個人経営の館が多く、観客の高齢化、経営者の高齢化、施設の老朽化、デジタル化への投資の負担などが閉館の背景に挙げられている。
まとめ
ピンク映画は、1962年の『肉体の市場』をきっかけに、独立プロが低予算で量産する成人向け映画として広がり、1960年代の専門館チェーン、1970年代の大手の参入を経て、1980年代のアダルトビデオの普及で縮小した。その一方で、若松孝二をはじめ多くの映画人が育ち、のちの日本映画に人材を送り出した側面も無視できない。戦後の風俗や娯楽の歴史を広く知りたい場合は、歴史・トリビア記事の一覧から、関連する記事を探してほしい。
よくある質問
Q. ピンク映画の第1号は何ですか?
A. 1962年公開の『肉体の市場』(小林悟監督)とする見方が一般的です。ただし、1963年の東映『五番町夕霧楼』や日活『にっぽん昆虫記』を第1号とする説もあります。
Q. なぜ「ピンク」と呼ぶのですか?
A. 1963年に記者の村井實が「おピンク映画」という言葉をつくり、のちに「お」が取れて定着したと伝えられています。
Q. ピンク映画とロマンポルノの違いは何ですか?
A. ピンク映画は大手以外の独立系会社の作品を指す言葉で、ロマンポルノは大手の日活が1971年から1988年まで製作した路線を指します。
Q. ブルーフィルムやアダルトビデオとは同じですか?
A. 別のものです。ピンク映画は映倫の審査を受けて映画館で公開される商業映画で、ブルーフィルムは非合法に流通した短編フィルム、アダルトビデオは家庭向けのビデオ作品です。
Q. 製作本数はどのくらい減りましたか?
A. 報道によれば、最盛期には年200本以上、2000年代半ばに100本を切り、2012年は41本でした。その後も減り、2023年時点では月に1〜2本の公開とされます。
Q. いまも新作は作られていますか?
A. 細々と続いています。フィルムからデジタルへ全面的に移り、オーピー映画が事実上ほぼ唯一の提供会社とされていますが、本数は年々減っています。
参考にした資料
- Wikipedia「ピンク映画」「大蔵映画」「オーピー映画」「成人映画」「ポルノ映画」「映画倫理機構」(日本語版)、Wikipedia “Pink film”(英語版)
- 北陸中日新聞Web「ピンク映画 艶めく文化 誕生半世紀 名監督も育てた」(2013年8月31日)https://www.chunichi.co.jp/article/35068
- ダイヤモンド・オンライン「女優も歓喜!ピンク映画館で『神イベント』を仕掛けた支配人」https://diamond.jp/articles/-/81112
- 日本語版Wikipedia「ピンク映画」が出典に挙げる文献(鈴木義昭『ピンク映画水滸伝』青心社、1983年、二階堂卓也『ピンク映画史』彩流社、2014年)
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