※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
遊郭は江戸時代にいきなり現れたわけじゃねえ。そこへ至るまでには、千年近い前史がある。ここじゃ店名にも料金にも触れず、遊郭ができるまでの流れだけを、古い順に追いかける。
📖 遊郭の起源にまつわるキーワード
#遊行女婦 #白拍子 #傾城 #二条柳町 #元吉原
古代の「遊行女婦」は、歌と芸で場を盛り上げる存在だった
奈良時代の万葉集には、「遊行女婦(うかれめ)」と呼ばれる女性が出てくる。地方に赴任した役人たちの宴に呼ばれ、歌を詠み交わして場を盛り上げた存在だ。のちの遊女の源流のひとつとされる。
この頃の遊行女婦は、芸と教養を売る色合いが濃かった。一箇所に集められて管理される、のちの遊郭とは別物だと思っとけ。
平安から鎌倉の「白拍子」は、舞で人気者になった
平安末から鎌倉にかけて人気を集めたのが「白拍子」だ。男装に近い装いで舞い、今様と呼ばれる歌をうたう芸能者で、貴族や武士の宴を彩った。源義経の愛妾として知られる静御前も白拍子だ。
芸を売りにする女性たちは、この頃から都市に集まるようになる。やがて室町、戦国と時代が進むと、街道沿いや都市の一角に女性を置く宿が増えていった。
「傾城」は、城を傾けるほどの美女という意味だ
戦国から江戸初期にかけて、高い格の遊女を指す言葉として広まったのが「傾城(けいせい)」だ。もとは「一目見ただけで城を傾けるほどの美女」という中国の故事に由来する言葉で、遊女の美称になった。
この時代の遊女屋は、町のあちこちに散らばっていた。ところが、治安や風紀の面から、一箇所にまとめて管理しようという考えが強まっていく。
豊臣秀吉が「公許」の流れをつくり、江戸の吉原へつながった
1589年、豊臣秀吉が京都の二条柳町に遊女屋の営業を許した。これが、領主の許可を受けて決まった区域で営業する「公許遊郭」の始まりとされる。のちの島原のルーツだ。
江戸でも同じ流れが起きた。庄司甚右衛門らが幕府に願い出て、1617年に江戸の遊郭が認められる。これが「元吉原」で、1657年の大火のあと浅草の日本堤へ移って「新吉原」になった。ここから、全国に公認遊郭が広がっていく。
なぜ「一箇所に集める」ことになったのか
江戸の初め、江戸は急速に膨らんだ城下町で、参勤交代の武士や、全国から来た職人で、男の人口が多かった。そこに、街のあちこちで遊女屋が営業すれば、治安や風紀の面で幕府にとって頭が痛い。
そこで、公認を与える代わりに、一箇所に集めて管理する方針が取られた。公認と引き換えに、他の場所での営業を禁じる。この「許す代わりに縛る」という仕組みが、公認遊郭の根っこにある考え方だ。
遊女と芸能は、歌舞伎の誕生にもつながっている
江戸の初め、出雲の阿国が京都で踊った「かぶき踊り」が人気を集め、そのあとに遊女たちが演じる「遊女歌舞伎」が広まった。ところが1629年に、風紀を乱すとして女性が舞台に立つことが禁じられる。
その後、少年が演じる若衆歌舞伎、成人男性が演じる野郎歌舞伎へと変わっていく。今の歌舞伎が男性だけで演じられるのは、この歴史が理由だ。遊郭の歴史と芸能の歴史は、深いところでつながっている。
遊郭ができるまでの流れ(年表)
| 時代・年 | できごと |
|---|---|
| 奈良時代 | 万葉集に「遊行女婦」が登場する |
| 平安末〜鎌倉 | 白拍子が舞と歌で人気を集める |
| 戦国〜江戸初期 | 「傾城」が高位の遊女の呼び名として広まる |
| 1589年 | 豊臣秀吉が京都・二条柳町に遊郭を許す |
| 1617年 | 江戸に公認の遊郭「元吉原」が認められる |
| 1657年 | 明暦の大火のあと、浅草日本堤の「新吉原」へ移転 |
知っておくと自慢できる豆知識
- 「遊郭」の「郭」は、囲いをめぐらした区画という意味だ。実際に堀や塀で囲まれた街が多かった。
- 「傾城」の言葉は、今でも歌舞伎や落語に出てくる。
- 静御前のような白拍子は、芸能史の面から見ても、日本の舞の源流のひとつとされる。
まとめ
遊郭の前史をたどると、歌や舞で場を盛り上げる芸能者から、一箇所に集められて管理される公認の街へ、という流れが見えてくる。秀吉の公許と吉原の許可が、その転換点だった。続きは吉原の歴史と島原の歴史で読める。
よくある質問
Q. 遊行女婦は今でいう遊女と同じか?
A. 同じとは言い切れねえ。万葉集の頃は、歌や芸で宴を盛り上げる性格が強かった。のちの遊女の源流のひとつ、という位置づけだ。
Q. 公許遊郭の「公許」ってなんだ?
A. 領主や幕府の許可を受けて、決まった区域でだけ営業できる、という意味だ。許可の代わりに、規則と管理がかけられた。
Q. 日本で最初の遊郭はどこだ?
A. 公許という意味では、1589年の京都・二条柳町が最初とされる。ただ起源の捉え方には諸説ある。

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