愛人バンクとは?1983年の摘発に至る80年代ブームと売春防止法の歴史を解説

※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の業者・サービスを紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。

「愛人バンク」は、1980年代の前半に新聞や週刊誌、テレビをにぎわせた会員制の仲介組織の呼び名だ。最大手は1983年末の摘発で壊滅し、ブームは急速に収まった。この記事では、利用方法には触れず、言葉の由来、報道の流れ、売春防止法との関係、その後の変化を、警察白書などの公的な資料を軸に整理する。

愛人バンクとは

1982〜83年ごろに話題になった会員制の仲介組織「夕暮れ族」という流行語がきっかけ1983年12月に売春防止法違反(周旋)で摘発警察白書は実態を「売春のあっせん」と記述映画や書籍の題材にもなった
目次

先に流行語があった|「夕暮れ族」の由来

愛人バンクを語るうえで、まず押さえておきたいのは「夕暮れ族」という言葉だ。作家・吉行淳之介の連作中編小説『夕暮まで』は、1978年に新潮社から刊行され、野間文芸賞を受賞した。若い女性と男性主人公の関係を描いた作品である。同じ1978年の6月、『週刊朝日』がこの小説のブームを背景に、中年男性と若い女性の愛人カップルを「夕暮れ族」と紹介した。やがて元の小説を知らない人にも広がり、中高年男性を指す俗称として使われるようになったとされる。

1980年9月には、黒木和雄監督、桃井かおり主演の映画『夕暮まで』が東宝の配給で公開されている。「愛人」という言葉には重く湿ったイメージがあったが、「夕暮れ族」は洒落た響きをもっていた。後に現れた愛人バンクの最大手は、この流行語に便乗したような名前を名乗っていた。日刊ゲンダイの記事は、「愛人」という言葉の重さに対して、都会的でおしゃれなネーミングが人を引きつけたと書いている。

時代の空気も無関係ではない。1980年前後にはノーパン喫茶が流行し、風俗の新しい業態が次々に現れた時期だった。そのあたりの経緯は、ノーパン喫茶の歴史の記事でも触れている。

仕組み|「会員制の紹介」という建前

資料の説明を総合すると、愛人バンクは、愛人を持ちたい男性と、金銭を得たい女性を会員として登録させ、両者を引き合わせる仕組みだった。男性会員の入会金は20万円とされ、見合いをして双方が気に入れば、当事者同士で手当の額を決めて交際する、という流れだったと伝えられる。会員には大学教授や医師、弁護士といった社会的地位のある男性が多かったという記述もある。

表向きは「会員制の登録機関」を名乗り、女性は女子大生が中心だと宣伝されていた。ただ、警察の見方は違った。昭和59年版の警察白書は、愛人バンクについて「売春のあっせんを行っているのが実態」だと明記している。つまり、仲介の名目で売春の周旋をしている、というのが当局の整理だった。

年表|流行語から摘発、映画化まで

年 出来事
1978年 吉行淳之介『夕暮まで』が新潮社から刊行され、野間文芸賞を受賞
1978年6月 『週刊朝日』が中年男性と若い女性の愛人カップルを「夕暮れ族」と紹介
1980年9月20日 映画『夕暮まで』が公開
1982年1月 最大手とされた組織が東京都内で設立されたとする資料がある(警察白書は「昭和58年初めに出現」と記述)
1982年秋 経営者がテレビや雑誌に登場し始めたとされる
1983年12月8日 銀座の事務所に捜査が入り、経営者ら3人が売春防止法違反(周旋)で逮捕された
1983年 警察白書によれば、年末の愛人バンクの営業所数は109軒。年間で14軒を摘発、595件・68人を検挙
1984年4月20日 実話を題材にした映画『夕ぐれ族』が公開(にっかつロマンポルノ、曽根中生監督)
1984年12月 川上宗薫『私版愛人バンク』が刊行されたとされる
2008年2月 NHK-BS2『日めくりタイムトラベル』が「愛人バンク事件」を取り上げた

ブームの広がり|テレビが後押しした社会現象

愛人バンクが全国に知られたのは、テレビの影響が大きい。最大手の女性経営者は、フジテレビ系の昼の番組『笑っていいとも!』や、深夜の情報番組『トゥナイト』に出演した。事務所の電話番号を大きく入れたTシャツ姿だったとされる。若さと話題性から、人気アイドルになぞらえる呼び名までついたという。テレビ局が経営者をタレントのように扱ったことで、組織の知名度は一気に上がった。

この人気を見て、類似の組織が各地に生まれた。昭和59年版の警察白書は、「サラリーマンでも愛人がもてる」をキャッチフレーズに昭和58年(1983年)の初めに現れた愛人バンクが急速に広がり、同年12月末には全国で109軒に達したと記している。警察は「先制的な取締り」を行ったと書かれており、当局が早い段階から問題視していたことがわかる。

数字は資料によってばらつきがある。会員数は、本人の説明では2,000人以上とされた一方、警察白書は男女会員約5,000人としている。収益についても、入会金だけで5億円超と報じられたのに対し、警察白書は「10箇月間に約1億2,000万円の暴利」と書く。どちらが正確かをここで決めることはできないので、「資料により幅がある」と受け止めておくのが妥当だ。

問題と規制|売春防止法の「周旋」で摘発された

摘発の直接のきっかけは、事務所への窃盗と、会員名簿の買い取りを求める脅迫だったと伝えられる。犯人が警察に引き渡され、押収された名簿から会員が割り出されたという。1983年12月、経営者ら3人が売春防止法第6条の売春周旋の疑いで逮捕され、経営者は懲役1年・執行猶予3年などの判決を受けたとされる。

ここで確認しておきたいのは、売春防止法の仕組みだ。同法は1956年(昭和31年)5月に公布され、1957年に施行、罰則は1958年4月から適用された(詳しくは売春防止法の歴史を参照)。第2条は売春を「対償を受け、または受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」と定義する。売春そのものは禁止されているが、売春をした本人や相手方は処罰されず、売春の周旋や場所の提供、管理売春などの「助長行為」が処罰の対象になる。愛人バンクの摘発も、この周旋の罪が適用されたものだ。

もう一つ重要なのが風営法との関係である。1984年(昭和59年)の改正(1985年2月施行)で、法律名が「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」に改められ、ラブホテルやアダルトショップなどの性風俗に関する営業が「風俗関連営業」として届出制になった(風営法の歴史も参照)。しかし、昭和60年版の警察白書は、デートクラブや個室マッサージ、愛人バンクなどを「法規制の対象となっていない」業態として挙げている。届出制の枠外にあったため、取締りは売春防止法の適用が中心になった。

検挙件数の推移にも、その影響が見える。警察白書によると、売春防止法違反の検挙件数は昭和56年に4,339件、58年に6,856件だったが、59年には約1万件(検挙人員3,270人)と前年の1.5倍近くに増え、60年には1万1,617件に達した。昭和61年版の白書は、59年に15年ぶりに1万件を超えたと書いている。同じ白書は、街娼型や管理型が減り、デートクラブ、愛人バンクなどの派遣型が全検挙件数の90.0%を占めるようになったとも記している。

その後|愛人バンクの名はどう残ったか

摘発後、最大手の組織は壊滅し、愛人バンクという看板はいったん表舞台から消えた。ただ、仲介業そのものが消えたわけではなかった。昭和60年版の警察白書は、「デート喫茶」や「愛人バンク」などと呼ばれる「デートクラブ」等の営業所数が、59年12月末に838軒と、前年より99軒(13.4%)増えたと記す。その年の摘発は391軒で、4,156件、1,168人が検挙された。名称を変えながら派遣型の営業が続き、こうした業態が売春事犯の主流になっていったのである。

白書の記述でも、新しい形の仲介営業が次々と現れている。昭和61年末に全国で418軒だったテレホンクラブは、昭和62年末に467軒、63年末に551軒と増えた。一方で、売春防止法違反の検挙件数は61年に1万117件、62年に1万885件、63年に1万37件と、1万件前後の高い水準が続いている。愛人バンクの摘発は、その後の長い取締りの流れの入り口にあたる。

近年では、1980年代の愛人バンクを源流にもつとされる「交際クラブ」を紹介する記事もある。運営会社が間に入ってデートを設定する形で、「風俗ではない」「自由恋愛」という立場を強調する一方、実際には性的な関係に発展することも想定された仕組みだ、と記事は説明している。時代が変わっても、「仲介」という形を通じた男女の関係が議論の対象になることは変わらない。

文化的な影響|映画・書籍・テレビ

愛人バンクは、当時の大衆文化にも足跡を残した。摘発から約4か月後の1984年4月20日には、実話を題材にして性風俗産業の人間模様を描いた映画『夕ぐれ族』が、にっかつロマンポルノの作品として公開された。監督は曽根中生、脚本は佐伯俊道で、取材をもとにしたとされる川上宗薫の『私版愛人バンク』も同年12月に刊行されている。2008年にはNHK-BS2の『日めくりタイムトラベル』が昭和58年の出来事として「愛人バンク事件」を紹介した。事件が、昭和の世相を語る題材として長く記憶されてきたことがわかる。

まとめ

愛人バンクは、1978年に広まった「夕暮れ族」という流行語を土台に、1982〜83年にテレビの後押しで全国に広まった会員制の仲介組織だ。警察は実態を売春のあっせんとみなし、1983年12月の摘発(売春防止法違反・周旋)で最大手が壊滅した。同年の警察白書によると、愛人バンクは年末に全国で109軒、うち14軒が摘発され、595件・68人が検挙された。風営法の届出制の枠外にあった業態への取締りは、その後も売春防止法を軸に続き、派遣型が売春事犯の主流になっていった。

よくある質問

Q. 愛人バンクとは何ですか?
A. 愛人を持ちたい男性と、金銭を得たい女性を会員として登録させ、引き合わせた会員制の仲介組織です。1980年代前半に話題になり、警察白書は実態を売春のあっせんと記しています。

Q. いつ流行したのですか?
A. 資料によって幅があります。最大手の設立を1982年1月とする資料がある一方、警察白書は「昭和58年(1983年)初めに出現」と記述しています。いずれにせよ、ブームは1982〜83年ごろで、1983年末の摘発で急速に収まりました。

Q. 「夕暮れ族」とはどんな言葉ですか?
A. 吉行淳之介の小説『夕暮まで』(1978年)に由来するとされる言葉で、同年6月に『週刊朝日』が中年男性と若い女性の愛人カップルを指して紹介しました。のちに中高年男性を指す俗称としても使われました。

Q. なぜ摘発されたのですか?
A. 警察は愛人バンクの実態を売春のあっせんとみなし、売春防止法の売春周旋の罪で経営者らを逮捕しました。売春防止法は、売春そのものよりも、周旋や場所の提供などの助長行為を処罰する仕組みです。

Q. 風営法の対象ではなかったのですか?
A. 1984年の風営法改正(1985年2月施行)で性風俗関連の営業は届出制になりましたが、昭和60年版の警察白書は、デートクラブや愛人バンクなどを法規制の対象となっていない業態として挙げています。そのため取締りは売春防止法が中心でした。

Q. 今も愛人バンクはあるのですか?
A. 「愛人バンク」の看板は1980年代の摘発とともに姿を消しましたが、その流れを汲むとされる「交際クラブ」を紹介する記事があります。現在の個別の業態や事業者については、この記事では扱っていません。

参考にした資料

  • 昭和59年 警察白書「第4章 生活の安全の確保と環境の浄化」(警察庁)https://www.npa.go.jp/hakusyo/s59/s590400.html
  • 昭和60年 警察白書「第5章」(警察庁)https://www.npa.go.jp/hakusyo/s60/s600500.html
  • 昭和61年・62年・63年 警察白書 第5章(警察庁)https://www.npa.go.jp/hakusyo/s61/s610500.html
  • 平成9年版 犯罪白書 第1編/第2章/第2節/5「風俗関係法令」(法務省)https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/38/nfm/n_38_2_1_2_2_5.html
  • Wikipedia「夕ぐれ族」https://ja.wikipedia.org/wiki/夕ぐれ族 、同「夕暮まで」(「夕暮れ族」の項から転送)
  • Wikipedia「風俗店の歴史」https://ja.wikipedia.org/wiki/風俗店の歴史(出典不足の注意書きあり。参考程度)
  • Wikipedia「売春防止法」https://ja.wikipedia.org/wiki/売春防止法
  • 日刊ゲンダイ「プレイバック芸能スキャンダル史」愛人バンク https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/144962
  • 日刊ゲンダイ(書籍紹介記事)https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/252885
  • ben54.jp「企業が“パパ活女子”を斡旋? …80年代「愛人バンク」に源流を持つ「交際クラブ」の多様なニーズ」https://www.ben54.jp/news/2887
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