テレクラ(テレフォンクラブ)とは?1985年ごろに登場した電話サービスの歴史と規制・衰退を解説

※本記事は歴史・文化の解説であり、特定のサービスや営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。

テレクラ(テレホンクラブ)は、1980年代半ばに東京で目立ちはじめ、1990年代に全国へ広がった、電話で男女の会話を取り次ぐ営業だ。やがて青少年の被害が問題になり、各地の条例と2002年4月施行の風営法改正で規制され、店は大きく減った。この記事では店の探し方や使い方には触れず、登場から規制、現在までを公的な資料の数字と年号で整理する。

テレクラの歴史にまつわるキーワード

1985年ごろ新宿・渋谷で急増電話で会話を取り次ぐ営業ツーショットダイヤルとの関係平成11年に全都道府県で条例2002年4月に風営法で規制届出数は大きく減少
目次

テレクラとは|電話を介して男女の会話を取り次いだ営業

「テレクラ」は「テレホンクラブ」の略で、デジタル大辞泉にもこの語釈で載っている。店に電話をかけてきた女性と、店にいる男性を電話でつなぐのが基本の形だ。現在の風営法は、これを「電話異性紹介営業」という名前で定義している。条文を言い換えると、面識のない異性との一時の性的好奇心を満たすための交際を望む人に、会話の機会を与えて異性を紹介する営業で、電話での会話の申込みを取り次ぐことで成り立つもの、となる。店舗を設けるものが「店舗型」、設けないものが「無店舗型」だ。

登場|1985年ごろ、新宿・渋谷で急増した

始まりの時期は、Wikipediaによれば、風営法の改正が話題になった1985年ごろだ。日本で最初の店は、新宿で1985年に開かれた店だとする説と、同年秋に新宿でできた別の店だとする説があり、はっきりしない。1986年4月3日の朝日新聞夕刊(東京版)は、1985年秋ごろから新宿や渋谷などで店が急に増え、そのころまでに約100軒になったと報じた、とWikipediaは紹介している。同じ1986年には、別冊宝島がサブカルチャーの流行の一つとしてテレホンクラブを取り上げた。

ここで注目したいのは、当時の位置づけだ。警察庁の平成7年版警察白書は、テレホンクラブを「性風俗に関する営業であるが、風俗関連営業とされていない」営業と書いている。つまり、電話を使うこの営業は、当時の風営法が定める風俗関連営業には含まれていなかった。法律の流れは風営法の歴史の記事で整理している。

仕組み|店舗型と、電話だけで成り立つ形

店舗型では、男性客が店の個室で電話を待ち、女性が店に電話をかけてくる。女性は自宅や公衆電話、のちには携帯電話から発信し、その番号の多くがフリーダイヤルで、女性側は無料だった。女性が番号を知る経路は、雑誌の広告、街頭で配られたティッシュ、駅の近くの看板などだった。電話の取り次ぎは、店員が順番に回す方式と、早く受話器を取った客が出る方式に大きく分かれた、とWikipediaは説明している。

もう一つの形が、店に行かずに電話だけで成り立つツーショットダイヤルだ。警察白書は、男性が街頭の自動販売機で番号と暗証番号を記したカードを買う、または一定額を銀行に振り込み、業者が通知した暗証番号で電話をかけると、業者の交換設備を通じてフリーダイヤルの女性とつながる仕組みと説明している。ダイヤルQ2を使ったツーショットダイヤル事業者は1992年に事実上いなくなったが、その後もこうした別の方式で営業が広がった。

テレクラの年表

年 出来事
1985年ごろ 新宿・渋谷などで店が急増したとされる(1985年は改正風営法の施行の年)
1986年 新聞が約100軒と報道。別冊宝島が紹介。NTTが伝言ダイヤルを開始
1994年(平成6年) 警察白書によると、テレホンクラブに係る福祉犯の被害少年は1,022人
1995年 岐阜県が青少年保護育成条例を改正し、青少年の利用を規制したとされる。このころから規制条例が各地で制定され始める
1999年(平成11年) 児童買春・児童ポルノ禁止法が施行(11月)。長野県の条例施行(7月1日)で全都道府県に規制条例がそろう
2001年6月 風営法の一部を改正する法律(平成13年法律第52号)が成立
2002年4月 改正風営法が施行。「電話異性紹介営業」が届出制の規制対象になる
2016年2月29日 伝言ダイヤルのサービスが終了(Wikipedia)
2024年(令和6年) 電話異性紹介営業の届出数は全国で145件(店舗型29、無店舗型116)

ブーム|1990年代に全国へ、雑誌や研究にも登場

1990年代の初めには、一般の女性の参加が増え、店は全国各地に広がった。警察白書も、ツーショットダイヤル営業を含むテレホンクラブが全国的に営業の広がりを見せている、と書いている。女性は無料で使えたので、いたずら電話も多かったとされる。1990年ごろには、レディースコミックに10〜15ページほどのテレクラ広告が載っていたという。1994年には、多摩地域のテレクラを調べて若者の状況を考察した社会学の本が出版され、風俗の一つとしてだけでなく、若者文化を語る題材にもなっていった。

問題と規制|条例から風営法の改正へ

広がりと並んで目立ったのが、青少年の被害だ。警察白書によれば、テレホンクラブに係る福祉犯(少年の福祉を害する犯罪)の被害少年は、平成6年に1,022人、平成7年には1,410人にのぼった。2005年の警察庁の事業評価書は、全児童買春事件のうちテレホンクラブ営業等の利用に係るものが平成12年に約5割になったと記している。平成12年は児童買春事件985件のうち476件がテレホンクラブ営業に係るものだった。警察はこの営業を、少年非行や福祉犯被害のきっかけになるおそれが大きい営業として、指導取締りの対象にしていた。

最初の規制は、各都道府県の条例だった。警察庁の評価書は、平成7年(1995年)ごろからテレホンクラブ等を規制する条例が制定され始め、平成11年(1999年)には全都道府県で制定されたと記す。Wikipediaは、その端緒を1995年の岐阜県の青少年保護育成条例の改正としている。平成11年版警察白書によれば、長野県の条例が同年7月1日に施行されたのを最後に、全都道府県で規制の条例が施行された。条例の中身は、広告や宣伝に関する規制などが中心だった。

ただ、条例には限界があった。評価書は、都道府県ごとに制度や規制内容がばらつくことに加え、複数の県にまたがる無店舗型の営業では、ある県での違反に基づいて別の県で営業停止などの処分ができない点を挙げ、実効ある取締りとは言い難かったと振り返っている。そこで、2001年6月に風営法の一部を改正する法律(平成13年法律第52号)が成立し、2002年4月に施行された。テレホンクラブ等は店舗型電話異性紹介営業と無店舗型電話異性紹介営業と定義され、性風俗関連特殊営業に位置づけられた。規制の柱は次のとおりだ。

  • 営業を始めるには、所在地を管轄する公安委員会への届出が必要になった(届出制)。
  • 店舗型は、学校などの周囲200メートルの区域や、条例で定める地域では営業できなくなった。
  • 広告・宣伝の方法が制限され、18歳未満へのビラの配布なども禁止された。
  • 18歳未満の従業者を会話の当事者にすることや、18歳未満の者からの会話の申込みを取り次ぐことが禁じられ、店舗型ではさらに、18歳未満の者を客として店に入れることなども禁じられた。
  • 会話を申し込んだ人が18歳以上であることを、運転免許証などで確認する措置が義務づけられた。
  • 違反があれば公安委員会が指示でき、8か月を超えない範囲で営業停止を命じることもできる。

効果は数字に表れた。行政処分は、改正風営法の施行日から平成14年末までに55件だったのが、15年に19件、16年に13件と減った。電話異性紹介営業に係る児童買春事件の検挙件数は、平成14年の478件から平成16年には178件に減っている。電話異性紹介営業の届出数も、2002年の873件から、2003年は851件、2004年は844件、2005年は794件と、毎年少しずつ減った。

衰退と現在|出会い系サイトへ需要が移り、届出は百数十件に

規制強化だけが減少の理由ではない。前述の評価書は、電話異性紹介営業への需要が一定程度、出会い系サイトに移ったことが考えられる、と述べている。ただし、その影響の分析は十分ではないとも注意書きがある。出会い系サイト利用に係る児童買春事件の検挙件数は、平成12年の40件から平成14年には787件へ急増した。通信の主役が、固定電話から携帯電話、そしてインターネットへ移った時代の変化と重なる。

現在の姿も、警察庁の統計で確認できる。令和6年(2024年)末の電話異性紹介営業の届出数は145件で、店舗型が29件、無店舗型が116件だ。令和2年の186件(店舗型45、無店舗型141)から約2割減っている。2002年の873件と比べると、規模は大きく縮んだ。Wikipediaは、かつて全国で最多の店舗数を誇ったチェーンも、現在は2店舗だけと記す。

電話での男女の会話サービスは、形を変えて続いている。店舗型の機能はツーショットダイヤルに移り、スマートフォンの専用アプリで通話するサービスも出ているとされる。2002年の規制後は年齢確認が義務づけられ、一般の女性の利用がほぼなくなって、女性オペレーターを前提とした運営が増えたという説明もある。1986年に始まった伝言ダイヤルも、携帯電話やSNSの普及で利用者が減り、2016年2月29日にサービスを終えたとされる。

文化的な影響|1980〜90年代の電話文化の象徴

テレクラは、固定電話が連絡手段の中心だった時代の、電話を使った出会いの文化として語られる。Wikipediaは、これを1980〜90年代の日本に特有の現象と位置づけ、電話を介したコミュニケーションの総称として「テレコミ」という言葉も紹介している。雑誌やコミックの広告、社会学の調査、ツーショットダイヤルへの展開など、風俗の枠を超えて、当時の若者や情報メディアの在り方を映す題材になった。同じ昭和末期の風俗ブームと規制の歴史は、ノーパン喫茶の歴史の記事とあわせて読むと、時代の空気がつかみやすい。

まとめ

テレクラは、1985年ごろに新宿や渋谷で急増し、1990年代に全国へ広がった電話の営業だった。当初は風営法の対象外にあったが、青少年の被害が目立つようになり、1995年ごろから都道府県の条例が作られ、1999年に全都道府県がそろった。条例の限界を踏まえて2001年6月に風営法が改正され、2002年4月から届出制、年齢確認の義務づけなどが始まった。届出数は2002年の873件から2024年の145件まで減り、機能の一部はツーショットダイヤルや出会い系サイト、アプリへ移っている。技術の変化と社会の規制が、一つの営業の盛衰を形づくった例だ。

よくある質問

Q. テレクラはいつ登場したのか?
A. Wikipediaによれば1985年ごろで、同年秋から新宿・渋谷などで急増し、1986年ごろまでに約100軒になったと報じられた。最初の店については諸説ある。

Q. テレクラは法律で規制されているのか?
A. 2001年6月成立の改正風営法が2002年4月に施行され、「店舗型電話異性紹介営業」「無店舗型電話異性紹介営業」として届出制の規制対象になった。年齢確認の義務などが定められている。

Q. 条例による規制はいつ始まったのか?
A. 警察庁の評価書は、平成7年(1995年)ごろから制定が始まり、平成11年(1999年)に全都道府県で制定されたと記している。Wikipediaは、端緒を1995年の岐阜県の条例改正とする。

Q. なぜ店が減ったのか?
A. 年齢確認や営業区域の制限といった規制強化に加え、携帯電話の普及と、出会い系サイトへの需要の移行が背景にあると考えられている。ただし、その影響の分析は十分ではないとされる。

Q. 今は何店くらいあるのか?
A. 警察庁の統計で、令和6年(2024年)の電話異性紹介営業の届出数は145件(店舗型29件、無店舗型116件)だ。2002年の873件から大きく減っている。

Q. テレクラとダイヤルQ2は同じものか?
A. 別物だ。ダイヤルQ2は、NTTが情報料を代わりに回収した有料情報サービスの仕組みで、2014年2月28日に終了した。ツーショットダイヤルの一部がQ2を利用していたことから、よく並んで語られる。

参考にした資料

  • 警察庁『警察白書』平成7年版・平成8年版・平成11年版・平成13年版・平成14年版(少年の性にかかわる有害環境、有害環境浄化対策、風俗営業の状況の各節)
  • 国家公安委員会・警察庁「事業評価書 電話異性紹介営業に係る児童買春の防止のための対策」(2005年12月)
  • 警察庁生活安全局保安課「令和6年における風俗営業等の現状と風俗関係事犯等の取締り状況について」(2025年4月)
  • e-Gov法令検索「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(昭和23年法律第122号)第2条・第31条の12・第31条の13
  • INTERNET Watch「警察庁、平成16年における風俗警察の現状を発表」(2005年4月19日)/同「平成17年における風俗関係事犯等」の記事(2006年4月10日)
  • Wikipedia「テレフォンクラブ」「ツーショットダイヤル」「伝言ダイヤル」「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」
  • Weblio辞書「テレクラ」(デジタル大辞泉の語釈)

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