※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
戦後の色町の話になると必ず出てくる、「赤線」と「青線」。名前は聞いたことがあっても、違いまで説明できる奴は少ねえ。ここじゃ店名や料金には触れず、二つの街の成り立ちと終わりだけを、歴史から教える。
📖 赤線と青線にまつわるキーワード
#赤線 #青線 #特殊飲食店 #GHQ #公娼制度廃止
戦後に、公娼制度は廃止された
1946年、GHQの指示を受けて、日本政府は公娼制度の廃止に動いた。遊郭として公認されていた営業が、制度の上ではなくなったわけだ。
ただし、街そのものがすぐに消えたわけじゃねえ。実際には、別の名目で営業が続く街が、各地にあった。
赤線は、警察が区域を指定した「特殊飲食店街」だった
赤線は、飲食店という名目で、特定の営業を黙認された区域だ。警察が、営業を許す区域を地図に赤い線で囲んだことから、この名がついたと言われる。
旧遊郭だった吉原や洲崎、新宿二丁目などが、赤線として営業を続けた。建物や街並みは、遊郭の時代のものが受け継がれた。
青線は、赤線の外にあった「黙認の営業」の街だった
青線は、赤線のように区域の指定を受けていないものの、実質的に営業が黙認されていた区域だ。地図には青線で示されたと言われ、これが名前の由来とされる。
新宿のゴールデン街が、かつて青線の街だったことはよく知られている。今の姿は、飲み屋街として知られているが、成り立ちはこの歴史にある。
売春防止法で、赤線も青線も終わりを迎えた
1956年に売春防止法が公布され、1958年4月に全面施行されると、赤線と青線は営業を続けられなくなった。江戸から続いた公認の色町の歴史は、ここで一つの区切りを迎える。
街が消えたあとも、建物が残る場所は多く、飲食店や住宅として使われている。詳しい法律の流れは売春防止法の記事で整理した。
赤線の建物には、独特の意匠があった
赤線の建物は、カフェー建築と呼ばれる、独特の外観を持つものが多かった。色タイルの装飾や、丸い窓、凝った外壁など、昭和初期のモダンな意匠が目を引く。
街が終わったあとも、こうした建物は、飲食店や住宅として使われ続けている。タイルの壁や窓枠を見ると、当時の面影を感じ取ることができる。
映画に描かれた赤線
赤線は、映画の題材にもなってきた。溝口健二監督の『赤線地帯』(1956年)は、売春防止法の成立を目前にした時代の、赤線で働く女性たちを描いた作品として知られる。
川島雄三監督の『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)も、洲崎の赤線を舞台にした名作だ。映像を通じて、当時の街の空気や人々の暮らしを知ることができる。
赤線と青線を比べる
| 赤線 | 青線 | |
|---|---|---|
| 位置づけ | 警察が区域を指定した特殊飲食店街 | 区域の指定がない、黙認の街 |
| 名前の由来 | 警察の地図で赤線で囲んだ | 警察の地図で青線で示した |
| 代表的な例 | 吉原・洲崎・新宿二丁目など | 新宿のゴールデン街など |
| 終わり | 1958年の売春防止法の全面施行 | 1958年の売春防止法の全面施行 |
知っておくと自慢できる豆知識
- 赤線・青線の名は、警察の取り締まり用の地図に由来すると言われる。
- 終わった後も、建物の外観が当時のまま残る街が各地にある。
- 名称の由来には諸説ある。
まとめ
赤線は区域を指定された特殊飲食店街、青線は黙認の街で、どちらも1958年の売春防止法で終わった。戦後の色町の歴史は、公娼制度の廃止と、その後の「建前の営業」の歴史でもある。流れは売春防止法の記事とあわせて読むと分かりやすい。
よくある質問
Q. 赤線と青線のどっちが公的だった?
A. 赤線は警察が区域を指定した街、青線は指定のない黙認の街。位置づけとしては赤線のほうが公的に近い。
Q. 赤線は今も残っているのか?
A. 制度は1958年に終わった。ただし、当時の建物や街並みが残る場所はある。
Q. 「赤線」「青線」の言葉は今も使うのか?
A. 歴史用語として使われる。地名や街の説明で、今も出てくる。

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