※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
横浜の公園のあたりに、かつて「港崎(みよざき)遊郭」と呼ばれる街があった。ここじゃ店名や料金には触れず、開港とともに生まれ、短い間に姿を消した街の歴史を教える。
📖 港崎遊郭にまつわるキーワード
#横浜開港 #港崎町 #外国人居留地 #豚屋火事 #吉原町
港崎遊郭は、横浜開港の翌年にできた
1859年、横浜が開港した。幕府は、外国人が多く出入りする港町の整備を進めるなかで、遊郭も設けた。これが「港崎遊郭」だ。
場所は、今の横浜公園のあたりにあたる。海に近く、外国人居留地にも近い立地で、港町・横浜の新しい顔のひとつになった。
「日本人向け」と「外国人向け」が分かれていた
港崎遊郭は、日本人の客と、外国人の客で、使う区画が分けられていた、と伝わっている。開港地ならではの事情だ。
異国の人と日本人が出会う場所だったので、街の話は、浮世絵にも描かれた。開港直後の横浜の賑わいを伝える資料として、いまも研究されている。
1866年の大火で、街は焼けた
1866年(慶応2年)、横浜の街で大きな火事が起こり、港崎遊郭も焼けてしまう。この火事は、火元にちなんで「豚屋火事」と呼ばれている。
焼けたあと、遊郭は元の場所には戻らなかった。港崎遊郭は、わずか数年ほどで姿を消したことになる。
その後は、別の場所へ移った
焼失のあと、遊郭は、吉田新田と呼ばれる埋め立て地の一角へ移された。この街は「吉原町」と名付けられ、江戸の吉原にちなんだ名前を持った。
港崎遊郭の跡地は、のちに公園として整備された。かつての遊郭の面影は、今の公園の風景からは想像しにくい。それでも、横浜の近代史を語るうえで欠かせない、街のひとつだ。
開港直後の横浜は、何もかもが新しかった
1859年の開港から数年の横浜は、まだ畑や湿地が広がる土地に、新しい街が急ピッチで作られていく時代だった。外国人居留地、貿易の商館、日本人商人の店。街づくりのなかで、遊郭も整備された。
港崎遊郭は、その急速な街づくりの一部として生まれた。短い期間で姿を消した街だが、開港期の横浜の空気を知るうえで、大事な手がかりになる。
港崎遊郭をめぐる年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1859年 | 横浜が開港する |
| 1859年ごろ | 港崎遊郭が設けられる |
| 1866年 | 大火(豚屋火事)で焼失する |
| その後 | 吉田新田の一角へ移り、「吉原町」となる |
知っておくと自慢できる豆知識
- 港崎遊郭の跡地は、のちに横浜公園として整備されたとされる。
- 1866年の大火は、火元にちなんで「豚屋火事」と呼ばれている。
- 移転先の「吉原町」は、江戸の吉原にちなんだ名前だった。
まとめ
港崎遊郭は、横浜の開港とともに生まれ、大火で短い歴史を終えた街だった。開港地の遊郭には、時代の変わり目の姿がはっきり出る。同じ港町の遊郭は神戸・福原遊郭の記事で読める。
よくある質問
Q. 港崎遊郭はいつできたのか?
A. 横浜が開港した1859年ごろに設けられた、とされている。
Q. なぜ短い期間で姿を消したのか?
A. 1866年の大火で焼失し、その後、別の場所に移されたからだ。
Q. 跡地は今どうなっているのか?
A. 公園として整備されたとされる。当時の面影は、ほとんど残っていない。

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