沖縄・那覇市の「辻」は、琉球王国時代から続く独自の遊里の歴史を持つ、本土の遊郭とは一線を画す地域だ。この記事では店の利用方法や料金には一切触れず、辻がどのような独自の歴史をたどってきたのかを解説する。
辻(那覇)とは
琉球王国が公認した、本土とは別系統の遊里

辻の起源は、日本本土がまだ江戸時代だった1672年頃、独立した国家であった琉球王国が公認の遊里としてこの地を整備したことにさかのぼるとされる。吉原や島原が江戸幕府の制度のもとで生まれたのに対し、辻は琉球王国という別の政治体制のもとで独自に発展した点が大きな違いだ。
辻 年表
琉球王府の管理のもと、那覇の辻に遊里が正式に設けられたと伝えられる。
単なる遊女ではなく、琉球舞踊や三線などの芸事を担う存在として独自の文化を形成。
琉球処分後、本土の公娼制度の枠組みの中に位置づけられるようになる。
地上戦の舞台となった沖縄戦により、辻の町並みはほぼ焼失する。
戦後の混乱を経て、現在の那覇市辻として街が再建されていく。
単なる遊女ではなかった「尾類(ジュリ)」という存在
辻で働く女性たちは沖縄の言葉で「尾類(ジュリ)」と呼ばれ、琉球舞踊や三線(さんしん)といった伝統芸能の担い手としての側面を強く持っていた。琉球王府の公式な行事で芸を披露することもあったと伝えられており、単なる遊興の相手というより、琉球の伝統文化を継承する存在という性格が本土の遊郭とは異なっていた。
明治以降、本土の制度に組み込まれる
1879年の琉球処分により沖縄県が設置されると、辻も次第に日本本土の公娼制度の枠組みに組み込まれていった。それでも琉球舞踊などの独自の芸事文化は長く受け継がれ、本土の遊郭とは異なる沖縄独自の色合いを保ち続けていたとされる。
1945年、沖縄戦でほぼ全焼
1945年の沖縄戦は那覇市街地を焼き尽くし、辻もほぼ全焼したと伝えられている。地上戦の惨禍を直接受けた地域として、辻の歴史は本土のどの遊郭とも異なる、戦争による断絶を経験している点が大きな特徴だ。
まとめ
辻は、日本がまだ江戸時代だった頃、独立国家であった琉球王国が公認した独自の遊里であり、琉球舞踊などの伝統芸能の担い手「尾類」による沖縄独自の文化を育んできた。1945年の沖縄戦でほぼ全焼するという、本土の遊郭とは異なる歴史も持つ、沖縄の近代史を物語る地域だ。
よくある質問
Q. 辻は今のどのあたりですか?
A. 現在の那覇市辻にあたる地域です。戦後の再建を経て、現在は那覇の歓楽街の一つとして知られています。
Q. 「尾類(ジュリ)」とは何ですか?
A. 辻で働いていた女性たちを指す沖縄の言葉で、琉球舞踊や三線などの伝統芸能を担う存在としての側面も持っていました。

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