九州・沖縄の遊郭跡|丸山・中洲・辻ほか旧遊廓の場所と今の姿を一覧で解説

※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。

九州・沖縄には、長崎の丸山や那覇の辻のように、海外との窓口という立地が独自の遊里文化を育てた町がある。一方で、金山・港・城下町を背景に生まれた遊廓も多い。この記事では、資料で確認できた範囲に絞って、各地の旧遊廓・色街の成り立ち、終わり、今の姿を整理する。店や営業の案内はしない。

九州・沖縄の旧遊廓

鎖国下の国際遊里「丸山」と琉球王国の「辻」『色道大鏡』(1678年序)に載る九州の遊里金山・港・城下町に支えられた近代の遊廓西南戦争・十・十空襲・福岡大空襲で姿を変えた町1958年(沖縄は復帰後)に終わった公娼
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この記事の読み方

ここでいう九州・沖縄は、福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島・沖縄の8県だ。「遊廓」は、1900年の娼妓取締規則のもとで貸座敷の営業が許された指定地を指す。沖縄の辻は琉球王国の時代に始まる別の系譜で、日本の法律が適用されたのは1972年の復帰からだ。違いは遊郭・遊里・色街・新地・花街の違いと花街と遊郭の違いで整理している。

各地の規模には、上村行彰『日本遊里史』(1929年)の付録『日本全国遊廓一覧』を転載したページで確認した貸座敷数・娼妓数を使い、本文では「貸座敷○・娼妓○」と書く。転載者は原本の集計に誤りがあると断っており、別資料と数字が合わないときは併記する。

九州・沖縄の旧遊廓の流れ

年 出来事
1526年ごろ 琉球の辻が始まったとされる
1593年 長崎で博多の柳町から一部の遊女を移す。1642年に市中の遊女屋を丸山町・寄合町に集める
1672年 琉球で尾類を辻と仲島に収容(のち渡地にも)
1678年 『色道大鏡』に博多柳町・二本木・丸山寄合町・肥前樺島・薩摩山鹿野田町が載る(九州で5か所)
1877年 西南戦争で熊本の遊廓が全焼し、二本木に移る
1883年 小倉の旭町遊郭が成立
1910〜11年 博多の柳町が新柳町(現・福岡市中央区清川)へ移転
1944年10月10日 十・十空襲で那覇の辻が焼ける
1958年 売春防止法の全面施行。沖縄は1972年の復帰で日本の法律が適用される

長崎県の旧遊廓

長崎の丸山(長崎市丸山町・寄合町)

外国人を相手にできた唯一の遊里だった。市中の遊女屋は寛永19年(1642年)に丸山の地へ集められ(1639年ごろ・1641年とする記述もある)、丸山の遊女だけが出島や唐人屋敷への出入りを許された。起源は1593年、博多の柳町から一部の遊女を長崎へ移したことにさかのぼる。延宝版『長崎土産』は、丸山町に遊女屋59軒・遊女335人、寄合町に44軒・431人と記す。1956年の売春防止法公布で遊廓としては終わり(全面施行は1958年)、料亭「花月」は、引田屋の庭園と建物を受け継ぐ県指定史跡(1960年3月22日指定)として残る。詳しくは丸山と出島・唐人屋敷と丸山の歴史へ。

佐世保の花園町・勝富町(佐世保市)

佐世保では、花園町・勝富町・木風町に色町が広がった。花園町は明治期の歓楽街で、市街地整備で遊廓が追放されるまで立ち並び、跡には戦後に米軍関連の施設ができ、返還後は中学校や市民会館が建った。勝富町は、花園遊郭を廃止した代替地として提供された歓楽街がもとで、道路が幾何学的に整い、古い旅館が散見される。木風町は戦前、花園・小佐世保に次ぐ第三の色町だった。1929年の一覧は、花園町の「名切」を22・64、勝富町の「小佐世保」を8・26とする。経緯の記述には幅がある。

長崎県のそのほか(早岐・稲佐・出雲町・厳原・樺島)

長崎県は1929年末の貸座敷指定地が23か所で、全国で6番目に多かった。一覧には、早岐の田子の浦(60・590)、出雲町(22・370)、稲佐(22・291)、戸町(14・213)、福田(17・180)、対馬の厳原の立亀(8・75)などが載る。『色道大鏡』の「肥前樺島」(長崎市野母崎樺島町)も、一覧では3・9の小さな遊廓として残っていた。

熊本・福岡・佐賀・大分の旧遊廓

熊本の二本木(熊本市西区)

九州有数の遊廓街だった。名は17世紀の『色道大鏡』にも載る。1877年の西南戦争で、京町を中心に散在していた遊廓が全焼して二本木へ移り、以後、西日本有数の遊廓街として栄えた。1919〜20年ごろの最盛期は妓楼72軒、『全国遊郭案内』は73軒・娼妓660人とする(1929年の一覧は64・763)。最大の東雲楼は3階建ての本屋と25の別棟を持ち、庭園は東海道五十三次をかたどったと伝わる。1900年の自由廃業にからむ集団ストライキは、のちの研究で事実が確認されていない。1958年3月に貸席組合が解散し、約80年の歴史を閉じた。主な妓楼は取り壊され、アパートだった「日本亭」も2009年に解体された。熊本駅周辺の再開発と2016年の熊本地震で、古い建物は減っている。

八代・三角・牛深(熊本県)

熊本県で許可された遊廓は、二本木のほか、宇土郡三角村・八代郡八代町・天草郡牛深村の計4か所とされる。1929年の一覧は、八代の紺屋町(19・156)、三角(8・49)、牛深(1・26)を載せる。

博多の柳町と新柳町(福岡市博多区・中央区)

博多柳町(現・博多区下呉服町)は『色道大鏡』に載る。1900年、九州に医科大学を置く誘致のなかで、福岡県は候補地に近い柳町の移転を約束し、1903年に福岡医科大学が開かれた。のち県が柳町での営業を禁じ、移転先の筑紫郡住吉村高畑(現・中央区清川)に新柳町が1910年1月に生まれ、1911年末に移転が終わった。1929年の一覧は47・636だ。1945年6月の福岡大空襲で町の半分が焼け、昭和30年代以降は飲食店・料亭・旅館の街となり、近年はマンションも増えた。

中洲(福岡市博多区)は遊廓だったのか

中洲は、那珂川と博多川にはさまれた歓楽街だ。1834年の藩政改革で繁華街として整えられ、1897年から券番(芸妓と客を取り持つ事務所)が複数でき、大正以降は映画館が並んだ。一方、1929年の一覧で福岡市に載る貸座敷指定地は新柳町で、中洲ではない。中洲は芸妓の花街・歓楽街として育った町で、「遊廓」と呼ぶのは資料に沿わない。南端には「南新地」と呼ばれる一角があり、1945年の福岡大空襲では、その一部を除いて中洲の大半が焼けた。

小倉・門司・若松と福岡県のそのほか

小倉の旭町遊郭は、鉄道が小倉に通じる前の1883年、市が収益を港の整備費にあてるとして県に陳情し、許可を得たとされる。昭和5年の資料は妓楼30軒・娼妓250人(1929年の一覧は28・107)、戦後は赤線・青線として続いた。同じ一覧には、門司の馬場(17・250)、若松の連歌町(9・93)、八幡の枝光(9・46)、久留米の原古賀(21・244)、大川の向島(19・130)、大牟田の新地(12・103)、直方(6・72)が載る。

佐賀・大分のそのほか(唐津・呼子・別府の浜脇ほか)

佐賀県の一覧には、佐賀郡の今宿(17・140)と諸富(13・30)、東松浦郡の満島(8・78)・呼子の殿の浦・片島(30・47)、伊万里の船屋町(8・21)、武雄の蓬莱町(4・20)が載る。大分県は、別府町字浜脇の浜脇(41・114)が最大で、別府港(18・17)、大分港の「かんたん」(9・57)、下ノ江(5・19)、佐賀ノ関(2・4)が続く。これらの成立や現状を示す公的な資料は、今回は確認できなかった。

宮崎・鹿児島の旧遊廓

宮崎県の遊廓(宮崎・延岡・細島・油津・都城)

宮崎県では1875年に、公娼の免許地区が宮崎郡川原町・中村町、那珂郡松山町、油津町の4か所に限られた。吾妻町の一画に松山遊廓が許可され、のち細島町(1884年)と延岡の岡富町(1888年)が追加され、1909年7月に都城町の平田遊廓が認可されて、県内の指定地区は9か所になった。1929年の一覧は、宮崎の吾妻新地(8・32)、都城の平田(4・71)などを載せる。吾妻町には遊郭の碑が残ると、地名辞典は記す。

山ヶ野の田町(鹿児島県霧島市横川町)

薩摩藩の金山の町・山ヶ野に生まれた遊廓で、『色道大鏡』の「薩摩山鹿野田町」にあたる。金山の周辺には約1万2千人が集まり、「田町」と呼ばれる遊廓がつくられて「西国三大遊郭」の一つに数えられたという。宝暦〜文政年間(1751〜1829年)の産金量は、佐渡金山を上回ったとされる。金鉱脈に沿って掘られた溝の跡が、今も残る。

鹿児島市の沖之村と天文館

1929年末、鹿児島県の貸座敷指定地は1か所だけで、一覧には鹿児島市塩屋町の「沖之村」が23・402と載る。市の中心・天文館では、大正後期から昭和初期に映画館や劇場が相次いで開いたのに合わせ、飲屋や赤線、食堂が自然発生的に現れたと市の項にある。

沖縄の旧遊廓

那覇の辻(那覇市辻)

琉球王国の遊廓だ。1672年、摂政の羽地朝秀が市中の「尾類(ジュリ)」を辻と仲島に集めて管理した。1526年に始まるとする説もある。楼は女性だけで運営され、独自の自治があった。1878年の『琉球漫録』は、妓家200戸余・娼妓約1500人とする。1908年に仲島・渡地が辻に合併して沖縄唯一の遊廓街となり、1934年ごろは176軒以上が並んだ。1929年末の統計は辻町・土之蔵町の貸座敷を234戸とする(一覧の転載は516・娼妓1032で食い違う)。1944年の十・十空襲で焼け、遊廓街としての歴史は終わった。戦後は1952年12月の料亭建設から再興が始まり、1972年の復帰で日本の法律が適用された。旧暦1月20日の「じゅり馬」は今も続く行事だ。詳しくは辻の歴史へ。

仲島・渡地(那覇市)

仲島は現在の那覇バスターミナル付近、渡地は那覇港南側の沖縄製粉の近辺にあったとされる。1672年に辻・仲島の2か所へ尾類を集め、のち渡地にも遊廓ができた。1908年に仲島と渡地は辻に合併した。

地域別の一覧表

名称 所在地 成立 終わり 現状
丸山 長崎市丸山町・寄合町 1642年に集約 1956〜58年 料亭花月(県指定史跡)
花園町・勝富町 佐世保市 明治期 1958年 古い旅館が散見される
二本木 熊本市西区 1877年(移転) 1958年3月 主な妓楼は取り壊し
柳町→新柳町 福岡市博多区→中央区清川 新柳町は1910年 1958年 料亭・旅館の街、マンション増加
旭町 北九州市小倉 1883年 1958年ごろ 資料で確認できず
松山遊廓ほか 宮崎市吾妻町 1875年に免許地区を限定 1958年ごろ 遊郭の碑が残る
山ヶ野の田町 霧島市横川町 1678年の『色道大鏡』に記載 資料で確認できず 金鉱脈の溝跡
沖之村 鹿児島市塩屋町 資料で確認できず 1958年ごろ 資料で確認できず
辻 那覇市辻 1672年に集約 1944年に焼失 じゅり馬の行事
仲島 那覇市 1672年 1908年に辻へ合併 バスターミナル付近
渡地 那覇市 1672年以降 1908年に辻へ合併 沖縄製粉の近辺

「終わり」の1958年・1958年ごろは、公娼制度の地域が売春防止法の全面施行で終わったという全国共通の整理による。個別の資料で確かめられたものは本文に書いた。

まとめ

九州・沖縄の旧遊廓は、丸山・辻のように港や王国の交易と結びついた遊里、二本木・小倉・新柳町のように近代の都市の変化で移された遊廓、山ヶ野のように金山が生んだ遊廓に分けられる。戦災や再開発で建物の多くは失われたが、料亭花月の県指定や、辻のじゅり馬、福岡の町名や移転の記録が、各地の来歴を伝えている。

よくある質問

Q. 九州・沖縄で最大の遊廓はどこですか?
A. 1929年の一覧では、那覇の辻が貸座敷516・娼妓1032と突出する(別の統計では辻町・土之蔵町の貸座敷が234戸)。九州本土では、熊本の二本木(64・763)、福岡の新柳町(47・636)、早岐の田子の浦(60・590)が大きい。

Q. 丸山と辻は何が違いますか?
A. 丸山は鎖国下で出島や唐人屋敷に出入りできた長崎の遊里で、辻は琉球王国が尾類を集めて管理した遊廓だ。辻は楼を女性が運営し、独自の自治があった。

Q. 中洲は遊廓でしたか?
A. 1929年の一覧で福岡市の貸座敷指定地は新柳町で、中洲ではない。中洲は券番を持つ花街・歓楽街として発展した町だ。

Q. いつ終わりましたか?
A. 公娼制度は1946年に廃止され、赤線を経て1958年の売春防止法全面施行で終わった。辻は1944年の十・十空襲で焼け、沖縄に日本の法律が適用されたのは1972年だ。

Q. 山ヶ野の「西国三大遊郭」とは何ですか?
A. 山ヶ野の金山に生まれた「田町」の遊廓が、西国三大遊郭の一つに数えられたとされる。ほかの2つや根拠は、今回の資料では確認できなかった。

Q. 旧遊廓の建物は見られますか?
A. 料亭「花月」は県指定史跡だ。二本木の主な妓楼は取り壊され、「日本亭」も2009年に解体されている。建物は暮らしの場でもあるため、外から静かに見るのが前提だ。

参考にした資料

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