※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
横浜の大岡川沿いに、名前のよく似た二つの町がある。南区の「真金町(まがねちょう)」と「黄金町(こがねちょう)」だ。真金町は明治から昭和にかけての遊廓・赤線の町、黄金町は戦後の高架下に生まれた非公認の色街の町として知られ、2000年代には全国的な話題になった浄化の取り組みと、その後のアートによるまちづくりを経て、いまは大きく姿を変えている。この記事では特定の店舗や営業には触れず、二つの町の歴史を資料で確認できた範囲で整理する。
黄金町・真金町とは
真金町と黄金町の違い
二つの町は近いが、歴史は別だ。真金町の遊廓は、江戸末期の開港直後に生まれた横浜の公認遊廓が移転を重ねた末に落ち着いた場所で、1958年の売春防止法まで続いた。一方の黄金町は、戦後に京急線の高架下へバラックが並んで生まれた町で、公認ではない売春の場、すなわち青線として知られた。赤線と青線の違いは赤線・青線の記事で整理している。
真金町の歴史|港崎遊廓から永真遊廓へ
真金町は、江戸時代前期に開かれた新田、吉田新田の一角で、もとは南三ツ目と呼ばれた土地だ。ここに遊廓ができた経緯は、横浜の開港までさかのぼる。1859年(安政6年)、開港とともに港崎遊廓が開かれた。港崎は現在の横浜公園の場所にあり、1866年の豚屋火事で焼けて、その後は吉原町、高島町と場所を移した。
1880年(明治13年)、火事で焼けた高島町の遊廓が、この南三ツ目の地へ移ってきた。これが、のちに隣の永楽町と合わせて「永真遊廓」と呼ばれる町の始まりだ。真金町の町名は、この遊廓の歴史と結びついている。永真遊廓は、1958年の売春防止法の完全施行まで、赤線を含めて続いた。港崎遊廓の成立の経緯は関東の遊郭跡の記事でも触れている。

Utagawa Sadahide (歌川貞秀) / パブリックドメイン / Wikimedia Commons

Utagawa Sadahide (歌川貞秀) / パブリックドメイン / Wikimedia Commons
遊廓の記憶を残す大鷲神社と酉の市
真金町に残る最大の手がかりが、金刀比羅・大鷲神社だ。Wikipediaによれば、1859年の開港の年に、港崎遊廓の妓楼の主人が讃岐の金毘羅権現を勧請したのが起こりで、遊廓の移転とともに場所を移し、1882年に真金町へ遷座した。遊廓が高島町にあった時期には、東京の吉原にならって「お酉様」を迎え、浅草の酉の市のような祭りを開くようになったと伝わる。
毎年11月の酉の日に開かれる「横浜のお酉様」は、いまも続く祭りで、横浜市の無形民俗文化財(登録)に位置づけられている。関東大震災と横浜大空襲で社殿は被害を受け、現在の本殿は1988年のものだ。遊廓の町そのものは建て替えでほとんど面影を失ったが、区画が碁盤の目になっていることや、この神社が、往時をしのばせる。真金町は現在、横浜橋商店街を中心とした下町の住宅地で、落語家の桂歌丸が生涯を過ごした町としても知られる。

撮影・作者: Ogiyoshisan / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

撮影・作者: Kzu06 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
黄金町の歴史|大岡川の水運の町から
黄金町の名は1869年(明治2年)の町の成立にさかのぼり、1889年の横浜市制施行で横浜市の町になった。明治の中ごろからは、大岡川が材木などの物資を運ぶ水路として使われ、艀(はしけ)や「だるま船」が行き交った。1923年の関東大震災で橋がすべて焼け落ち、1928〜29年の復興事業で架け替えられている。1930年には、湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)の黄金町駅が開業した。戦前の黄金町は、色街ではなく、水運と商業の町だった。
1945年5月29日の横浜大空襲では、黄金町駅の付近も甚大な被害を受け、600人以上が犠牲になったとされる。焼け跡の町が、戦後の色街の舞台になっていく。

U.S. Army (米陸軍) / パブリックドメイン / Wikimedia Commons
戦後の黄金町|高架下の青線地帯
終戦後、京急の高架下にはバラックが集まった。飲食店を装った非公認の売春が行われる店も現れ、黄金町は関東でも指折りの青線地帯として知られるようになる。進駐軍による土地の接収で行き場を失った人々が商売を始めた、という説明もある。大岡川沿いには、はしけを不法に水上ホテルとして使うバラック群ができ、1954年に強制的に撤去された。こうした混乱は、横浜の戦後史の一部として記録されている。
1958年に売春防止法が完全施行されても、町が一変したわけではない。法律の経緯は売春防止法の記事のとおりだが、黄金町では店が一時的におとなしくなったあと、麻薬の売買が問題になった時期もある。1962年7月には、取締りで供給を断たれた中毒者が路上で症状を起こし、社会問題になった。その後、街灯の整備やバラックの撤去、更生施設の設置など、行政による対策が進んだ。1970年代以降は、外国出身の女性が増えていったと記録されている。
黄金町・真金町の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1859年 | 港崎遊廓が開業。この年に金刀比羅神社(のちの大鷲神社)の起こりとなる勧請が行われる |
| 1869年 | 黄金町が成立する |
| 1880年 | 焼失した高島町の遊廓が南三ツ目(真金町)へ移る |
| 1923年 | 関東大震災 |
| 1930年 | 湘南電気鉄道(現・京急)の黄金町駅が開業 |
| 1945年5月29日 | 横浜大空襲。黄金町付近も被害を受ける |
| 1954年 | 大岡川沿いの水上バラックが撤去される |
| 1958年4月 | 売春防止法の完全施行。真金町の赤線が終わる |
| 2002年 | 京急高架の補修工事で、高架下の約100店が立ち退き。周辺に拡散する |
| 2003年 | 住民らが「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」を発足 |
| 2005年1月11日 | 警察による集中的な摘発「バイバイ作戦」が始まる |
| 2005年8月 | 違法な店がすべて閉店する |
| 2006年6月 | 文化芸術拠点「BankART桜荘」が開設される |
| 2008年 | 高架下にスタジオが完成し、第1回「黄金町バザール」が開かれる |
| 2009年4月 | NPO法人「黄金町エリアマネジメントセンター」が設立される |

2002〜2005年|拡散と浄化「バイバイ作戦」
転機は2002年に訪れた。京急が高架の補修工事のために高架下の約100店に立ち退きを求めると、立ち退いた店が周辺へ分散し、かえって町全体に広がった。最盛期には250〜270店ほどにふくらんだとされ、数は資料によって異なる。土地や建物を風俗店向けに売るよう持ちかける不動産業者も現れ、地域の暗黙のルールが崩れたとも報じられた。
危機感を持った住民は動いた。2002年に「風俗拡大防止協議会」を結成し、2003年11月には行政や警察、大学とも連携する「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」が発足した。2004年7月には、売春防止法の罰則強化などを求める要望書を国へ出している。そして2005年1月11日、横浜開港150周年(2009年)を見据えた「環境浄化」の要望を受けて、警察による集中的な摘発「バイバイ作戦」が始まった。同年4月に県警が現地の指揮本部を設け、8月までに違法な店はすべて閉店した。風営法をはじめ、性風俗に関する制度の経緯は風営法の歴史にまとめてある。
アートによるまちづくり|黄金町バザールとエリアマネジメント
浄化後の町には、新たな課題が残った。人の流れが途絶えて周辺の商店も打撃を受け、空き店舗の権利関係は複雑で、すぐには転用が進まなかった。横浜市は空き物件の借り上げを進め、2006年6月には「BankART桜荘」が文化芸術拠点として開設される。アーティストが滞在して制作する「創造界隈」の先駆けとなった。2007年ごろから、元の店舗を改装したカフェなどの一般の店が開き始める。
2008年には、京急と横浜市の協力で高架下にスタジオが完成し、アートフェスティバル「黄金町バザール」が始まった。新設のスタジオや周辺の空き店舗、大岡川など、町全体が展示会場になった。この成果を受けて2009年4月、NPO法人「黄金町エリアマネジメントセンター」が設立される。以後、アーティストの滞在制作を支え、毎年のバザールや、日常のまちづくり活動を続けている。活動の範囲は、日ノ出町駅から黄金町駅まで約1キロの高架下とその周辺だ。
今の黄金町と真金町
黄金町では、2025〜26年ごろの報道によれば、約50組、10か国以上のアーティストが暮らして制作しているという。かつて子どもが避けて通ったという商店街を、いまは子どもたちが行き来するとも伝えられる。黄金町バザールは2008年から続き、2025年からは京急百貨店・ウィング上大岡にも会場を広げた。一方で、浄化の直後は「クリーンにはなったが、何もない状態になった」という振り返りもあり、町に人を呼び戻す過程は簡単ではなかった。2022年11月には、神奈川県が黄金町1〜2丁目を暴力団排除特別強化地域に指定している。
真金町は、遊廓時代の面影をほとんど残さない下町の住宅街になった。建て替えが進み、名残は碁盤の目の区画と大鷲神社の祭りにとどまる。二つの町は、同じ大岡川の流域にありながら、「遊廓から住宅街へ」と「青線からアートの町へ」という別々の変化をたどった。
まとめ
真金町は、1859年の港崎遊廓から移転を重ねた遊廓が1880年に落ち着いた町で、1958年の売春防止法で終わるまで永真遊廓として続いた。黄金町は、戦後の京急高架下に生まれた非公認の色街で、2002年の立ち退きをきっかけに拡散し、2005年1月の「バイバイ作戦」で浄化された。その後は2008年の黄金町バザール、2009年のエリアマネジメントセンター設立と、アートを軸にしたまちづくりが進み、いまはアーティストの暮らす町になっている。遊廓や色街の全体像は歴史・知識の一覧からたどってほしい。
よくある質問
Q. 黄金町と真金町は同じ場所ですか?
A. 別の町だ。真金町は明治から続いた遊廓・赤線の町、黄金町は戦後の京急高架下に生まれた青線の町。どちらも横浜の大岡川沿いにあり、近接している。
Q. 黄金町の浄化「バイバイ作戦」はいつですか?
A. 2005年1月11日に始まった。同年4月に県警が現地の指揮本部を設置し、8月までに違法な店はすべて閉店した。
Q. なぜ黄金町に店が集まったのですか?
A. 戦後に京急の高架下へバラックが集まり、非公認の売春が行われる場になったのが始まりとされる。2002年の高架補修工事で立ち退いた店が周辺に広がり、最盛期は250〜270店ほどになったと伝えられる。
Q. 黄金町バザールとは何ですか?
A. 2008年に始まったアートフェスティバルで、黄金町エリアマネジメントセンターが主催している。高架下のスタジオや空き店舗、大岡川など、町全体が会場になる。
Q. 真金町の遊廓はいつ終わりましたか?
A. 1958年4月の売春防止法の完全施行で終わった。町名と、遊廓の鎮守だった金刀比羅・大鷲神社の酉の市が、その歴史を伝えている。
Q. いまの黄金町はどんな町ですか?
A. アーティストが暮らし、制作する町になっている。約50組、10か国以上のアーティストが活動していると報じられた。住民向けの活動も続いている。
参考にした資料
- Wikipedia「黄金町」「真金町」「金刀比羅・大鷲神社」
- NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター(黄金町バザール公式)
- ヨコハマ経済新聞「再生へ向け動き始めた黄金町の「現在」」(2006年12月)
- 神奈川新聞「横浜・黄金町地区 「売春店撲滅」宣言から10年」
- 東洋経済オンラインの黄金町を扱った記事(2018年)
- 横浜市教育委員会「指定・登録文化財目録」(酉の市の記載)
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- 風営法の歴史|1948年・1985年・1998年の改正
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- 売春防止法(1956年)とは?成立から施行までの歴史
このテーマの全体像:遊廓・花街・赤線の歴史ガイド(東日本編)
北海道・東北・関東・甲信越・北陸・静岡の旧遊廓と花街の歴史。前後に読むならこのあたり。
画像の出典
- 古い絵・絵葉書・古地図: パブリックドメイン(Wikimedia Commons)
- 写真: Ogiyoshisan 撮影(CC BY-SA 3.0)/Wikimedia Commons
- 写真: Kzu06 撮影(CC BY-SA 4.0)/Wikimedia Commons
- 地図: © OpenStreetMap contributors
- 年表: 本記事の内容をもとに当サイトで作成

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