東京・新宿二丁目は、江戸時代の宿場町「内藤新宿」をルーツに持ちながら、現在は日本最大級のLGBTQ+の街として知られる、非常にユニークな変遷をたどった地域だ。この記事では店の利用方法や料金には一切触れず、新宿二丁目がどのように姿を変えてきたのかを解説する。
新宿二丁目とは
江戸四宿の一つ「内藤新宿」がルーツ
新宿二丁目のルーツは、1698年に開設された甲州街道の宿場町「内藤新宿」にさかのぼる。品川宿・板橋宿・千住宿と並ぶ「江戸四宿」の一つで、これらの宿場には「飯盛女」と呼ばれる、旅籠で給仕をしながら実質的に遊女としての役割も担う女性たちが置かれていた。吉原のような幕府公認の遊郭とは別枠の、旅人相手の街道文化だった点が特徴だ。
新宿二丁目 年表
甲州街道の最初の宿場として、内藤家の屋敷地の一部に宿場町が誕生。
吉原のような公認遊郭とは別に、旅人相手の飯盛女を置く旅籠街として栄える。
新宿の発展とともに、正式な遊郭として区画が整えられていく。
戦後の混乱期を経て赤線となり、繁華街としての性格を強めていく。
売春防止法施行で赤線が廃止された後、ゲイバーなどが集まり始め独自の街へ発展。
明治以降、正式な遊郭として整備される
明治から昭和戦前にかけて、新宿の急速な発展とともにこの地域は正式な遊郭として区画整備されていった。ターミナル駅として成長する新宿の玄関口に近いという立地もあり、多くの人でにぎわう繁華街の一角を形成していたと伝えられている。
1958年以降、なぜ「ゲイの街」になったのか
1958年の売春防止法施行により赤線が廃止されると、多くの元赤線地帯は姿を変えたり衰退したりしたが、新宿二丁目では1950年代後半から徐々にゲイバーが集まり始めていた。安い家賃の空き店舗が多かったことや、新宿という立地の良さなどが重なり、時間をかけてゲイバーが集積していったとされる。この積み重ねの結果、新宿二丁目は現在、数百軒ともいわれるゲイバー・レズビアンバーが集まる、アジア最大級ともいわれるLGBTQ+のコミュニティタウンへと発展した。
「新宿・歌舞伎町」とは目と鼻の先という立地

新宿二丁目は、現在の歓楽街として知られる歌舞伎町のすぐ隣に位置している。同じ新宿駅東側のエリアでありながら、歌舞伎町とはまったく異なる独自のコミュニティ文化を築いてきた点は、新宿という街の懐の深さを物語っている。
まとめ
新宿二丁目は、江戸時代の宿場町「内藤新宿」から遊郭、赤線を経て、1958年の売春防止法施行後にゲイバーが集まる独自の街へと姿を変えてきた。一つの土地が時代とともにまったく異なる顔を持つに至った、東京の中でも特に劇的な変遷をたどった地域だ。
よくある質問
Q. なぜ新宿二丁目はゲイの街になったのですか?
A. 1958年の売春防止法施行で赤線が廃止された後、空き店舗の多さなどを背景に1950年代後半からゲイバーが徐々に集まり始め、時間をかけて現在のコミュニティタウンが形成されたとされています。
Q. 歌舞伎町とは違う街なのですか?
A. どちらも新宿駅東側の隣接するエリアですが、成り立ちも現在の街の性格もまったく異なります。

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