五条楽園の歴史、2010年まで続いた京都の花街を徹底解説

京都・下京区の鴨川沿いにあった「五条楽園」は、明治期に生まれ、2010年まで独特の町並みを残し続けた花街的な地域だった。この記事では店の利用方法や料金には一切触れず、五条楽園がたどった歴史的な変遷を中心に解説する。

五条楽園とは

明治期に生まれた京都の遊里戦後は「五条楽園」に改称鴨川沿いの茶屋建築が特徴2010年の一斉摘発で終焉現在は町家カフェなどに再生

目次

鴨川沿いに生まれた「五条新地」

京都・鴨川沿いの風景
五条楽園があった鴨川沿いの現在の風景(イメージ)

五条楽園のルーツは明治初期、鴨川沿いに形成された「五条新地」と呼ばれる遊里にさかのぼる。同じ京都の島原が江戸時代からの伝統を持つ遊郭だったのに対し、五条新地は明治以降に発展した比較的新しい遊里という成り立ちの違いがある。

戦後「五条楽園」に改称、茶屋建築が並ぶ景観に

戦後になるとこの地域は「五条楽園」と改称され、京都らしい木造の茶屋建築が軒を連ねる独特の町並みを形成していった。祇園などの花街と共通する意匠を持つ建物が多く、京都の伝統的な花街建築を伝える地域の一つとして知られていた。

五条楽園 年表

明治初期

「五条新地」として誕生
鴨川沿いに遊里が形成され、五条新地と呼ばれるようになる。

戦後

赤線地帯として発展
名称を「五条楽園」に改め、茶屋建築が並ぶ花街的な景観を持つ地域として発展。

1958年

売春防止法の施行
公娼制度・赤線の廃止により、表向きは遊郭としての営業ができなくなる。

1958年以降

お茶屋営業として存続
法施行後もお茶屋としての営業形態を取りながら、独特の町並みは長く残り続けた。

2010年

京都府警による一斉摘発
売春防止法違反容疑での摘発を機に、事実上の営業終了に至る。

1958年以降も「お茶屋」として存続し続けた

1958年の売春防止法施行により全国の赤線は廃止されたが、五条楽園は「お茶屋」としての営業形態をとることで、その後も長く独特の景観と営業形態を維持し続けた。これは同じ京都の島原が早くに遊郭としての機能を終えたのとは対照的な経過をたどった点として、しばしば比較される。

2010年、一斉摘発で長い歴史に幕

2010年、京都府警による売春防止法違反容疑での一斉摘発が行われたことを機に、五条楽園は実質的に営業を終えることになった。これは全国的にも大きく報道され、戦後から続いていた京都最後の赤線的な町並みが表舞台から姿を消す出来事として記憶されている。

現在は町家カフェなどへと生まれ変わりつつある

摘発後の五条楽園は空き家となった茶屋建築が多く残されていたが、近年はその歴史的な木造建築を生かし、カフェやゲストハウス、ギャラリーなどにリノベーションされる動きが進んでいる。かつての花街建築を新しい形で残していく試みとして注目されている。

まとめ

五条楽園は明治期の「五条新地」を起源とし、戦後は独特の茶屋建築が並ぶ花街的な地域として長く存続した。2010年の一斉摘発でその歴史に幕を下ろしたが、現在は歴史的な建築を生かしたカフェなどへのリノベーションが進み、新しい形でその町並みが受け継がれつつある。

よくある質問

Q. 五条楽園は今どうなっていますか?
A. 2010年の摘発以降、当時の営業形態は終了しています。現在は歴史的な木造建築を生かしたカフェやゲストハウスなどへの再生が進んでいます。

Q. 島原とは何が違うのですか?
A. 島原が江戸時代初期からの伝統を持つ遊郭であるのに対し、五条楽園(五条新地)は明治以降に形成された比較的新しい遊里という成り立ちの違いがあります。

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