札幌市の「薄野(すすきの)」は、単なる自然発生的な歓楽街ではなく、札幌という都市そのものの建設計画の一部として生まれた、全国的にも珍しい成り立ちを持つ街だ。この記事では店の利用方法や料金には一切触れず、薄野がどのように誕生し、今の姿に至ったのかを解説する。
薄野(すすきの)とは
札幌という街づくりのために作られた遊郭だった
明治初期、開拓使は北海道の中心都市として札幌の建設を進めていた。何もない原野に計画都市を一から作り上げるという大事業にあたり、全国から集まった労働者たちの娯楽の場として、1871年(明治4年)、開拓使は計画的に薄野の地に遊郭を設置した。自然発生ではなく、都市計画の一部として最初から用意された遊郭という点が、吉原や島原とは大きく異なる成り立ちだ。
「薄野」という風流な名前の由来
薄野という地名は、開拓使の官吏によって名付けられたと伝えられている。「薄(すすき)」は秋の七草の一つで、和歌などにも詠まれる風流な植物であることから、殺風景になりがちな開拓地の遊郭に、あえて雅な響きの地名を与えたのではないかと言われている。
薄野 年表
蝦夷地が北海道と改称され、開拓使による本格的な開発が始まる。
計画都市・札幌の建設にあたり、開拓使が労働者向けの遊郭を計画的に配置する。
開拓使の官吏により、風流な響きを持つ「薄野」の地名が付けられたと伝えられる。
札幌の発展とともに、娯楽・社交の中心地としての役割を強めていく。
公娼制度の廃止により、遊郭としての歴史に幕を下ろす。
開拓期の労働者たちの娯楽の場として
当時の札幌は、道路や建物をゼロから作り上げる大規模な開拓工事の真っ只中にあった。全国から集まった労働者たちにとって、薄野は数少ない娯楽と息抜きの場であり、都市建設を支える重要な役割を担っていたとされる。
1958年、売春防止法で遊郭としての歴史に幕
1958年の売春防止法施行により、全国の公娼制度が廃止されると、薄野も遊郭としての営業はできなくなった。多くの元遊郭地が衰退する中、薄野はいち早く飲食店やバーが集まる歓楽街へと姿を変えていったことが、その後の発展につながったとされる。
現在は日本最北の歓楽街「すすきの」に

現在のすすきのは、札幌市内有数の繁華街として、飲食店やホテルが集まる北海道最大の歓楽街に発展している。すすきの交差点のネオンは札幌の象徴的な風景の一つになっており、開拓期の計画遊郭がルーツであることを知る人は意外と少ない。
まとめ
薄野は、札幌という都市の建設計画の一部として1871年に生まれた、全国的にも珍しい成り立ちを持つ遊郭だった。開拓期の労働者たちの娯楽の場として発展し、1958年の売春防止法施行後はいち早く歓楽街へと姿を変え、現在は日本最北の歓楽街「すすきの」として札幌を代表する街になっている。
よくある質問
Q. 「薄野」と「すすきの」は同じ場所ですか?
A. はい、同じ場所です。現在は主にカタカナの「すすきの」と表記されることが多くなっています。
Q. 他の遊郭と何が違うのですか?
A. 多くの遊郭が自然発生的に形成されたのに対し、薄野は札幌という都市の建設計画の一部として、開拓使によって最初から計画的に設置された点が大きな特徴です。

コメント