※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
東京の下町に、かつて「玉の井」と呼ばれる街があった。小説の舞台としても知られている。ここじゃ店名や料金には触れず、玉の井の成り立ちと、その後の移り変わりを、歴史の順に教える。
📖 玉の井にまつわるキーワード
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玉の井は、東京の下町にあった私娼街だった
玉の井は、今の東京都墨田区の東向島のあたりにあった。公認の遊郭ではなく、いわゆる私娼街として栄えた街だ。岡場所のように、公認の枠の外にある街の、近代版にあたる。
大正から昭和の初めにかけて、東京の郊外として発展した下町に、細い路地が入り組んだ独特の街並みが生まれた。
関東大震災のあとに、街が形づくられた
1923年の関東大震災のあと、東京の下町は大きく変わった。浅草周辺にあった店などが、郊外へ移り、玉の井の街が形作られていったとされる。
路地が迷路のように入り組んでいて、一度入ると、出口が分からなくなる。そんな街の姿が、当時の記録に残されている。
永井荷風『濹東綺譚』の舞台になった
玉の井の名を広く知らしめたのが、作家・永井荷風の小説『濹東綺譚』だ。1937年に発表された作品で、玉の井の街と、そこで暮らす人々の姿が描かれている。
荷風は、足しげく玉の井の街を歩き、その空気を文章に書き留めた。小説は、当時の下町の風俗を伝える貴重な記録としても、今も読まれ続けている。
戦争と、戦後の変化
1945年3月の東京大空襲で、東京の下町は大きな被害を受けた。玉の井の街も、その影響を受けたとされる。
戦後は、赤線・青線の地域として営業が続いた時期を経て、1958年の売春防止法の完全施行で、その歴史は終わりを告げた。
今の東向島に残るもの
今の東向島のあたりは、住宅や商店が立ち並ぶ、ごく普通の住宅地になっている。当時の路地の一部が、街の形として残っている場所もある。
街の歴史を知ってから歩くと、何気ない路地の風景が、ぐっと深く見えてくる。『濹東綺譚』を片手に歩くのも、ひとつの楽しみ方だ。
玉の井をめぐる主な流れ
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 大正〜昭和初期 | 東京の下町に、私娼街として形作られる |
| 1923年 | 関東大震災。下町の街並みが大きく変わる |
| 1937年 | 永井荷風『濹東綺譚』が発表される |
| 1945年 | 東京大空襲で下町が大きな被害を受ける |
| 1958年 | 売春防止法の完全施行。歴史に幕 |
知っておくと自慢できる豆知識
- 玉の井は、公認の遊郭ではなく、私娼街として栄えた。
- 『濹東綺譚』は、1937年に発表された永井荷風の小説だ。
- 玉の井があったのは、今の墨田区東向島のあたりとされる。
まとめ
玉の井は、戦前の東京の下町にあった私娼街で、永井荷風の『濹東綺譚』の舞台として今も名が残っている。街の歴史は、近代東京の下町の移り変わりを映している。公認の街との違いは、岡場所の記事もあわせて読んどけ。
よくある質問
Q. 玉の井はどこにあったのか?
A. 今の東京都墨田区の東向島のあたりにあったとされる。
Q. 玉の井は公認の遊郭だったのか?
A. 違う。公認の枠の外にある、私娼街として栄えた。
Q. 『濹東綺譚』とは?
A. 永井荷風が1937年に発表した小説で、玉の井の街と人々が描かれている。

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