※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
遊廓は、江戸の吉原や京都の島原のように、公許の遊女屋を一か所に集めた区画を指す。ただし日本語には、遊郭・新地・岡場所・宿場・赤線・花街など似た言葉が多く、時代や制度によって意味が違う。この記事では、遊廓の定義と公許・非公許の区別、用語の違い、時代ごとの流れを整理し、全国の主な遊廓を地域別に一覧にする。成立と終わりの年は、確認できた資料の記述に従い、資料で食い違うものは併記した。現在営業している場所の案内はしない。なお「遊廓」「遊郭」はどちらも使われ、この記事では遊廓で統一する。
日本の遊廓を知る
遊廓とは|公許の遊女屋を集めて囲った区画
遊廓は、公許の遊女屋(女郎屋)を集め、周囲を塀や堀で囲んだ区画のことだ。傾城町、廓、遊郭とも呼ばれる。囲いは、人の往来を制限して治安を守り、風紀を統制するためのもので、江戸の吉原を囲んだお歯黒どぶがよく知られる。遊廓の起源は別の記事で解説した。公認の区画としては、室町幕府の制度下で傾城局が置かれたのが1528年、京都の柳町に遊里が開かれたのが1589年、江戸の吉原の設置が幕府に許可されたのが1617年だ(陳情の受理は1612年)。
「遊廓」という言葉には、時代で二つの意味がある。
- 近世の遊廓:幕府や藩が公認した遊女屋の区画。吉原、島原、大坂の新町が代表で、公許の三大遊廓と呼ばれる。
- 近代の遊廓:明治以降、貸座敷の営業地として指定された公娼街を俗に遊廓と呼んだ。1872年の芸娼妓解放令のあとも実態はほとんど変わらず、遊女屋は貸座敷と名を改めて存続した。1900年の娼妓取締規則で、貸座敷の営業地域が指定されるようになる。
公許と非公許の線引きも、時代で動く。江戸時代に、公許の外で遊女が集まった場所は岡場所と呼ばれた。明治以降は、指定地の内か外かが基準になった。代表的な遊廓の歴史は、吉原の歴史や島原の歴史の記事にまとめている。
似た言葉の違い|遊廓・新地・岡場所・宿場・花街・赤線・青線
| 用語 | 意味 | 時代 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 遊廓 | 公許の遊女屋を集めた区画。近代は貸座敷営業地の通称 | 近世〜1958年 | 吉原・島原・新町など。囲いの内側に妓楼が並んだ |
| 岡場所 | 公許の遊廓以外の遊所・私娼街 | 江戸時代 | 「岡」は脇・外の意。深川、谷中、根津、赤坂などがあった。寛政の改革で55か所が取りつぶされ、1842年に残る27か所が江戸四宿を除いて取りつぶされた |
| 宿場(飯盛女) | 宿場の旅籠が給仕の名目で雇った飯盛女のいる所 | 江戸時代 | 半ば黙認された。1772年に人数制限がかかり、品川500人、内藤新宿250人、千住・板橋は各150人とされた |
| 新地 | 新しく開かれた遊所や花街。統一的な定義はない | 一定しない | 花街として許可されながら実質は貸座敷と変わらない例や、私娼窟として許可された例がある。大阪の飛田は難波新地の大火後の代替地 |
| 花街 | 芸妓(芸者)を呼ぶお茶屋・置屋・料理屋が集まる地域 | 近世〜現代 | 飲食店・待合・置屋の三業がそろう地域は三業地。1958年まで、多くの花街で芸妓と遊女が併存していた |
| 赤線 | 1946年の公娼制度廃止後、警察が黙認した特殊飲食店街 | 1946〜1958年 | 旧遊廓の多くが料亭やカフェーに看板を替えて続いた |
| 青線 | 保健所の飲食店許可だけで、非合法に売春を行った地域 | 戦後〜1958年 | 赤線に隣接することが多かった |
花街と遊廓の関係はとくに紛らわしい。現在「花街」と呼ぶ地域は、芸妓遊びの店が中心の区域を指す。一方、昔の資料では花街が遊廓の別称として使われることもあり、範囲は曖昧だ。違いは花街と遊郭の違いや遊郭・遊里・色街・新地・花街の使い分けの記事に詳しい。飯盛女と宿場、赤線・青線も個別に解説している。
遊廓の歴史を年表で見る
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1528年 | 傾城局が設置され、室町幕府の制度のもとで営業する |
| 1589年 | 京都の柳町に遊里が開かれる |
| 1617年 | 江戸・吉原の設置が幕府に許可される(陳情の受理は1612年) |
| 1627年 | 大坂の新町で町割りが行われ、遊女屋が集められる |
| 1641〜42年 | 京都の遊里が朱雀野(島原)へ移る。長崎では市中の遊女屋が丸山に集められる |
| 1657年 | 明暦の大火のあと、吉原の遊女屋がすべて新吉原へ移る |
| 1678年 | 『色道大鏡』の序が刊行され、全国25か所の遊廓が挙げられる |
| 1772年 | 宿場の飯盛女の人数に制限がかかる |
| 1842年 | 天保の改革で、江戸の岡場所が江戸四宿を除いて取りつぶされる |
| 1859〜71年 | 横浜の港崎(1859年)、神戸の福原と大阪の松島(1868年に許可)、札幌の薄野(1871年)など、明治初めの開港や開拓の時期に新しい遊廓が生まれる |
| 1872年 | 芸娼妓解放令。実態はほとんど変わらず、遊女屋は貸座敷になる |
| 1900年 | 娼妓取締規則。貸座敷の営業地域が指定される |
| 1918〜23年 | 大阪の飛田が1918年に開廓。名古屋の中村が1923年に開業 |
| 1929年 | 貸座敷の指定地は全国で541か所 |
| 1946年 | GHQの指令で公娼制度が廃止される。遊廓の多くは赤線として続く |
| 1956〜58年 | 売春防止法が1956年に公布され、1958年4月1日に全面施行。公娼地域としての遊廓の歴史が終わる |
売春防止法は、資料によって「1957年の成立」と書かれることがある。1956年に公布され、1957年4月に一部が施行、1958年4月に罰則が適用されて全面施行になった流れが、売春防止法の記事にまとめてある。また芸娼妓解放令は、マリア・ルス号事件を契機に1872年に出されたが、売春そのものは禁止しなかった。
全国の主な遊廓一覧|地域別
成立と終わりは、Wikipediaの各項目などで確認できたものを載せた。成立年は「許可」「開業」「移転」のどれを指すかで異なるため、表の文中に書いた。「—」は、確認した資料に記載がないという意味だ。地域ごとの詳しい記事は、各表の上のリンクから読める。
北海道・東北
詳しくは北海道・東北の遊廓跡の記事へ。札幌の薄野は薄野の歴史にもまとめた。
| 名称 | 所在地 | 種別 | 成立 | 終わり |
|---|---|---|---|---|
| 薄野(札幌) | 北海道札幌市 | 遊廓 | 1871年に官許 | 1920年に白石へ移転。白石遊廓は1958年に廃止 |
| 国分町(仙台) | 宮城県仙台市 | 遊廓 | 1869年に開業 | 1878年に常盤丁、1894年に蜂屋敷へ移転。戦後まで続く(廃止年は記載なし) |
| 北横町(弘前) | 青森県弘前市 | 遊廓 | 1897年に北川端町から移転 | 売春防止法の施行で旅館になった |
関東
詳しくは関東の遊廓跡の記事へ。洲崎、玉の井、横浜の港崎は個別の記事がある。
| 名称 | 所在地 | 種別 | 成立 | 終わり |
|---|---|---|---|---|
| 吉原 | 東京都台東区千束(元吉原は中央区日本橋人形町) | 遊廓 | 1617年に許可。1657年に新吉原へ | 1958年(資料により1957年) |
| 洲崎 | 東京都江東区 | 遊廓・赤線 | 1888年に開業(根津から移転) | 1958年4月1日 |
| 港崎→吉原町→永真 | 神奈川県横浜市 | 遊廓 | 1859年に開業 | 1866年に焼失して移転を重ね、赤線は1958年まで |
| 玉の井 | 東京都墨田区 | 私娼街 | 1918〜19年頃 | 1945年の空襲で大半が焼失。戦後は赤線となり1958年に終了 |
| 鳩の街 | 東京都墨田区 | 赤線 | 1945年 | 1958年 |
中部・北陸
詳しくは中部・北陸の遊廓跡の記事へ。名古屋の中村は中村遊郭の歴史で解説している。
| 名称 | 所在地 | 種別 | 成立 | 終わり |
|---|---|---|---|---|
| 中村 | 愛知県名古屋市 | 遊廓 | 1923年(大須の旭廓が移転) | 1958年1月に全施設が廃業 |
| 二丁町 | 静岡県静岡市 | 遊廓 | 江戸初期(成立年は記載なし) | 1945年の静岡大空襲で焼失 |
| 飯田 | 長野県飯田市 | 遊廓 | 1882年に県会が認可 | 売春防止法施行後に閉鎖 |
| 古町 | 新潟県新潟市 | 花街 | 1898年に芸妓中心の花街が成立 | 古町芸妓の活動は現在も続く |
| ひがし茶屋街 | 石川県金沢市 | 花街(茶屋町) | 1820年に茶屋町が開かれる | — |
金沢のひがし茶屋街は遊廓ではなく、芸妓が座敷を務める茶屋町だ。東山ひがし茶屋街の歴史を参照してほしい。
近畿
詳しくは近畿の遊廓跡の記事へ。吉原・島原と並ぶ公許の遊廓の新町は新町遊郭の歴史、島原は島原の歴史、福原は福原遊郭の歴史、五条楽園は五条楽園の歴史で扱っている。飛田と松島は、大正の飛田新地、明治の松島新地の記事を読んでほしい。
| 名称 | 所在地 | 種別 | 成立 | 終わり |
|---|---|---|---|---|
| 島原 | 京都府京都市下京区 | 遊廓 | 1641年に朱雀野へ移転(起源は1589年の柳町) | 昭和後半に茶屋組合が解散し、1976年に京都花街組合を離れた |
| 五条楽園(七条新地) | 京都府京都市下京区 | 遊廓・花街 | 大正期に五条橋下・六条新地・七条新地が合併 | 2010年10月に一斉休業、2011年3月に組合解散 |
| 中書島 | 京都府京都市伏見区 | 遊廓・花街 | 江戸前期(伏見城下から移転) | 1958年3月に約半数が下宿へ転業。花街としては1970年に終了 |
| 橋本 | 京都府八幡市 | 遊廓 | 1877年に創立とされる | 1958年の売春防止法施行後に姿を消す |
| 新町 | 大阪府大阪市西区 | 遊廓 | 1627年に町割り | 1945年の大阪大空襲で廓跡の建物が焼失 |
| 松島 | 大阪府大阪市西区 | 遊廓 | 1869年に開設(1868年に許可) | 1958年の売春防止法施行で廃止 |
| 飛田 | 大阪府大阪市西成区 | 遊廓 | 1918年に開廓(1916年に指定) | 1958年の売春防止法施行で遊廓としては終了 |
| 福原 | 兵庫県神戸市兵庫区 | 遊廓 | 1868年に許可 | 1958年に遊廓はすべて廃業 |
| 洞泉寺 | 奈良県大和郡山市 | 遊廓 | 1877年に公認 | 1958年の売春防止法施行で廃業 |
| 木辻 | 奈良県奈良市 | 遊廓 | 慶長・寛永のころ | 1958年3月15日に置屋が廃業 |
| 古市 | 三重県伊勢市 | 遊廓(非公許) | 江戸前期に茶屋が遊女を置く | 1945年の空襲で壊滅 |
中国・四国
詳しくは中国・四国の遊廓跡の記事へ。この地方は、資料で成立と終わりをそろえて確認できた遊廓が少ない。年が分かるものと、『色道大鏡』の1678年の記載だけが確認できたものを分けた。
| 名称 | 所在地 | 種別 | 成立 | 終わり |
|---|---|---|---|---|
| 御手洗(若胡子屋) | 広島県呉市 | 茶屋(遊所) | 1724年に広島藩の許可で開業 | 売春防止法施行後は禁止 |
| 鞆(有磯町) | 広島県福山市 | 遊廓 | 1678年の『色道大鏡』に記載 | — |
| 稲荷町 | 山口県下関市 | 遊廓 | 1678年の『色道大鏡』に記載 | — |
| 東西中島町 | 岡山県岡山市 | 遊廓 | — | 1929年時点で120戸 |
九州・沖縄
詳しくは九州・沖縄の遊廓跡の記事へ。長崎の丸山は丸山の歴史、那覇の辻は辻の歴史で解説している。
| 名称 | 所在地 | 種別 | 成立 | 終わり |
|---|---|---|---|---|
| 丸山 | 長崎県長崎市 | 遊廓 | 1642年に市中の遊女屋を集める(1641年に平戸から名称が移る) | 1958年に廃止 |
| 二本木 | 熊本県熊本市西区 | 遊廓 | 1877年(西南戦争後に京町周辺から移転) | 1958年3月に貸席組合が解散 |
| 柳町 | 福岡県福岡市博多区 | 遊廓 | 1678年の『色道大鏡』に記載 | — |
| 辻 | 沖縄県那覇市 | 遊廓 | 1672年に尾類を集める(のち仲島・渡地を1908年に統合) | 1944年10月10日の空襲で焼失。戦後に再興 |
1929年の遊廓|全国541か所の貸座敷指定地
1929年(昭和4年)の貸座敷指定地は全国で541か所あった。そのうち、100戸以上の貸座敷がある遊廓はWikipediaの記述で19か所だ。上位は、大阪市南区の五花街が499戸、京都市東山区の祇園町が449戸、同じく宮川町が418戸、東京市浅草区の新吉原が295戸、深川区の洲崎が286戸、大阪市西区の松島が257戸だった。この一覧には、京都の祇園町や宮川町、先斗町といった花街の名も含まれている。
跡地の現在|残るもの・消えたもの
遊廓の跡地の姿は一様ではない。吉原は、新吉原の道路のつくりがほぼ当時のまま残るとされる。大坂の新町は、1945年の空襲で廓跡の建物が焼け、その後は商業地域になった。横浜の港崎の跡地は、1876年に横浜公園として整備された。静岡の二丁町の跡は、現在は静岡県地震防災センターの付近にあたり、稲荷神社が残る。長野の飯田では、最後の建物が2004年に取り壊され、跡地はマンションや集合住宅などになった。
赤線が終わった1958年のあと、店は、バーやスナック、料亭、旅館、アパート、下宿などに転業した。建物が使い続けられた例もあり、島原の角屋や大阪の鯛よし百番のように、文化財になった建物もある。一方で、名古屋の中村では市の景観重要建築物に指定された4件がすべて解体された。残っている建物と失われた建物は、遊郭建築が文化財になった建物の一覧にまとめた。建築の特徴は遊郭建築とはを読んでほしい。
地域別の個別記事
各地の遊廓と跡地は、地域ごとの記事で詳しく扱っている。
まとめ
遊廓は、公許の遊女屋を囲いのなかに集めた区画で、近代には貸座敷の営業指定地の通称にもなった。岡場所、宿場、新地、花街、赤線、青線は、公許か非公許か、遊女中心か芸妓中心か、戦前か戦後かで使い分けられる。1617年の吉原に始まる公許の流れは、1872年の芸娼妓解放令、1900年の娼妓取締規則を経て、1946年の公娼廃止、1958年の売春防止法の全面施行で終わった。全国に541か所あった指定地の跡は、公園や住宅地になった場所もあれば、建物が文化財として残る場所もある。
よくある質問
Q. 遊廓と花街は何が違いますか?
A. 遊廓は遊女屋を集めた区画で、花街は芸妓を呼ぶお茶屋や置屋が集まる地域だ。ただし昔は花街が遊廓の別称として使われ、1958年まで両者が併存する花街も多かった。
Q. 日本三大遊廓はどこですか?
A. 江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町を指すことが多い。新町の代わりに長崎の丸山や伊勢の古市を入れる説もある。
Q. 公許の遊廓と岡場所は何が違いますか?
A. 公許の遊廓は幕府や藩が認めた区画で、岡場所は公許の外にあった遊所だ。江戸の岡場所は、寛政の改革や天保の改革で取りつぶされた。
Q. 遊廓はいつなくなりましたか?
A. 1946年のGHQの指令で公娼制度が廃止され、遊廓の多くは赤線として続いた。1956年公布の売春防止法が1958年4月に全面施行され、公娼地域としての遊廓は終わった。
Q. 遊廓の跡地は今どうなっていますか?
A. 一様ではない。道路の区画が残る地区、公園や商業地、住宅地になった地区、一部の建物が文化財として残る地区がある。
Q. 「遊郭」と「遊廓」はどちらが正しいですか?
A. どちらの表記も使われる。この記事では「遊廓」で統一した。
参考にした資料
- Wikipedia「遊廓」「岡場所」「飯盛女」「花街」「赤線」「青線」「公娼制度」「芸娼妓解放令」
- Wikipedia「吉原遊廓」「新町遊廓」「丸山 (長崎市)」「港崎遊廓」「洲崎遊廓」「福原遊郭」「松島遊廓」「辻 (那覇市)」「すすきの」「五条楽園」「中書島」「木辻遊廓」「古市 (伊勢市)」「玉の井」「鳩の街」「二本木遊廓」「飛田遊廓」「中村遊廓」「飯田遊廓」「二丁町遊廓」「橋本遊廓」「洞泉寺遊廓」「島原」
- Wikipedia「国分町 (仙台市)」「北横町 (弘前市)」「御手洗 (呉市)」
- 『色道大鏡』(1678年)の記載は、Wikipediaの記述による
- 加藤晴美「妓楼建築の保存・活用にみる遊廓の記憶と地域」(東京家政学院大学紀要、J-STAGE)

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