東京・江東区にかつて存在した「洲崎」は、明治時代に根津遊郭の移転先として誕生し、戦後は「洲崎パラダイス」として再び知られることになった街だ。この記事では店の利用方法や料金には一切触れず、洲崎がたどった歴史を中心に解説する。
洲崎とは
東京帝国大学近くにあった「根津遊郭」の移転先だった
洲崎の歴史は、もともと文京区根津にあった「根津遊郭」の移転から始まる。根津遊郭は東京帝国大学(現・東京大学)のすぐ近くにあり、学生への風紀上の影響が問題視されたことから、1888年、東京湾の埋立地だった洲崎へ移転することになった。大学の近くに遊郭があったこと自体が、現代の感覚からすると驚きのエピソードだ。
埋立地に作られた、独立した遊郭街

洲崎は東京湾岸の埋立地に新しく整備された遊郭で、入口には「洲崎大橋」と呼ばれる橋が架けられ、遊郭の敷地全体が周囲から独立した区画になっているのが特徴だった。この橋を渡って遊郭の中に入るという構造は、当時の絵葉書や地図にも記録されている。
洲崎 年表
東京帝国大学近くにあった根津遊郭が、風紀上の理由で洲崎の埋立地へ移転。
東京湾岸の埋立地という立地を生かし、独立した遊郭街として整備される。
戦災により街の大部分が焼失し、戦後は一からの再建を迫られる。
赤線地帯として復活し、その通称は後に小説・映画の題材にもなった。
公娼制度・赤線の廃止により、洲崎は遊郭としての歴史を終える。
戦後、「洲崎パラダイス」として再び脚光を浴びる
東京大空襲で一度は焼失した洲崎だったが、戦後は「赤線」と呼ばれる非公認ながら黙認された地域として復活した。この時期の洲崎は「洲崎パラダイス」という通称で広く知られるようになり、この名前は後に川島雄三監督の映画「洲崎パラダイス 赤信号」(1956年)の題材にもなっている。
1958年の売春防止法施行で赤線が消滅
1958年、売春防止法の全面施行により全国の赤線地帯は一斉に廃止され、洲崎もその歴史に幕を下ろした。現在、洲崎があった一帯は江東区東陽の住宅・オフィス街に姿を変えており、当時の遊郭の面影はほとんど残っていない。
まとめ
洲崎は1888年、根津遊郭の移転先として東京湾の埋立地に誕生した遊郭で、戦後は「洲崎パラダイス」として再び知られる存在になった。1958年の売春防止法施行で赤線としての歴史を終え、現在は江東区東陽の街並みにその名残をとどめるのみとなっている。
よくある質問
Q. 洲崎は今のどのあたりですか?
A. 現在の東京都江東区東陽1丁目付近にあたります。地名変更により「洲崎」という地名自体は一部の公園名などを除き残っていません。
Q. 「洲崎パラダイス」とは何ですか?
A. 戦後、赤線地帯として復活した洲崎の通称です。1956年公開の映画「洲崎パラダイス 赤信号」の題材にもなりました。

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