中国・四国の遊郭跡|旧遊廓の場所・成り立ち・今の姿を一覧で解説

※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。

中国・四国には、江戸前期から名が残る瀬戸内の港町の遊里もあれば、軍港や城下町に生まれた近代の遊廓もあった。この記事では、資料で確認できた範囲に絞って、各地の旧遊廓・色街の成り立ち、終わり、今の姿を地域ごとに整理する。店や営業の案内はしない。

中国・四国の旧遊廓

『色道大鏡』(1678年序)に載る港町の遊里軍港・港町・城下町・門前町の近代遊廓1945年の戦災で焼けた町1958年の売春防止法全面施行で終わった公娼町名・保存地区・旧妓楼建築に残る面影
目次

この記事の読み方

ここでいう中国・四国は、鳥取・島根・岡山・広島・山口の5県と、徳島・香川・愛媛・高知の4県だ。「遊廓」は、1900年の娼妓取締規則のもとで貸座敷の営業が許された指定地を指し、「新地」は新しく開かれた土地の呼び名から遊里の名になった。戦後の「赤線」は、1946年に公娼制度が廃止されたあとも黙認された地域をいう。違いは遊郭・遊里・色街・新地・花街の違いと赤線・青線の解説で詳しく整理している。

各地の規模には、上村行彰『日本遊里史』(1929年)の付録『日本全国遊廓一覧』を転載したページで確認した貸座敷数・娼妓数を使い、本文では「貸座敷○・娼妓○」と書く。転載者は原本の集計に誤りがあると断っており、別資料と数字が合わないときは併記する。

中国・四国の旧遊廓の流れ

年 出来事
1678年 『色道大鏡』に石見温泉・備後鞆有磯町・広島多々海・宮島新町・下関稲荷町が載る(全国25か所のうち中国地方で5か所)
1724年 御手洗(呉市)で若胡子屋が広島藩の認可を受け開業
1872年 徳島で名東県が富田新地に遊廓を置く。高知の玉水新地も同年に認可
1877年ごろ 高松の八重垣新地に遊廓が立ち並ぶ
1895年 呉の朝日遊廓が開業。広島の東遊郭も同年とする記事がある
1929年末 貸座敷指定地は山口41か所(15か所は営業者なし)、広島19、愛媛3、鳥取・徳島は各2
1945年 呉空襲・広島の原爆・高松空襲・高知大空襲・下関空襲などで多くの遊廓が焼ける
1958年 売春防止法の全面施行。公娼制度の地域は終わる

山陰・岡山の旧遊廓と色街

鳥取の衆楽園(鳥取市・鳥取駅前)

鳥取駅の近く、黒塀で囲まれた一角にあった遊廓だ。明治初年に成立し、1958年まで85年続いたと考えられている。1929年は貸座敷40・娼妓92。1926年の郷土誌は、市の玄関口にあることを問題にして移転を求めた。1958年2月、売春防止法の罰則施行を前に業態の転換が始まり、町名は「錦町通り」として改められた。現在のアーケード街「鳥取サンロード」を抜けた先に、かつての衆楽園があったという。津山市の庭園「衆楽園」とは別物だ。

山陰のそのほかの色街(温泉津・境港・倉吉・米子・松江・浜田)

島根県大田市の温泉津(温泉津町温泉津稲荷町)は、『色道大鏡』に「石見温泉」として載る。境港には1871〜1887年の間、「遊亀町」という町名があり、海岸の埋立地に置屋が10数戸、劇場の亀遊座も開かれた。現在の大正町の海岸部にあたる。倉吉新地は貸座敷指定地ではなく、私娼窟として許可されたとされ、行政の統計に遊廓として数えられない。1929年の一覧には、米子の灘町(18・49)、松江の伊勢町(3・38)、浜田の原井田(6・31)が載る。

岡山の中島(岡山市・東中島町と西中島町)

1929年末の統計では貸座敷120戸で、100戸を超える全国19か所の公娼街のうち、中国・四国ではここだけだった(一覧の転載では118・娼妓356)。下津井の色町の豪華さが「岡山の西中島を凌ぐ」と言われたほど、名が通っていた。成立や終わりの年、現在の様子は、今回の資料では確認できなかった。

下津井ほか岡山の港町・城下町(倉敷市・玉島・笠岡・津山)

倉敷市の下津井は、江戸時代に北前船の寄港地として廻船問屋が並び、遊廓も置かれた。街なかには、廻船問屋や遊廓が軒を並べた頃の面影が残り、岡山県の町並み保存地区に指定されている。1929年は下津井が9・12。同じ一覧に、玉島の柏崎(9・28)、笠岡の伏越(12・42)、津山の廻(14・77)、日比の新地(13・48)、牛窓(3・10)が載る。

広島県の旧遊廓

広島の西遊廓と東遊郭(広島市中区・舟入町と弥生町周辺)

広島には舟入町の「西遊廓」と、下柳町・薬研堀あたりの「東遊郭」があった。1929年の一覧は、西が59・390、東が43・228だ。個人の調査記事は、創設を西は明治24〜25年(資料で食い違う)、東は明治28年とする。どちらも原爆で焼け、戦前の建物は残っていない。薬研堀の東は、かつて遊廓だった弥生町にあたる。戦後は1958年まで赤線だったとされる。

呉の朝日遊廓(呉市朝日町)

海軍の街・呉の遊廓だ。吉浦の遊廓が不便だったため、1895年に荘山田村の郊外へ開かれ、開業時の貸座敷は12軒ほどだった。1908年には58軒・娼妓561人に増え、1930年刊『全国遊郭案内』は45軒・約500人とする(1929年の一覧は45・590)。客は海軍の兵や工廠の職工が中心だった。終戦間際の呉空襲で壊滅し、『呉市史』によれば戦後は進駐軍向けの「朝日ハウス」が置かれた。今は住宅街で、町名の「朝日町」と堺川の橋の親柱「朝日橋」が数少ない名残とされる。

尾道の新開(尾道市久保)

江戸後期の埋立地にできた歓楽街で、北前船の寄港で賑わったとされる。1929年の一覧は「尾道市久保町」の新開を73・112とし、貸座敷数は広島県内で最多だ。花街時代の名残として、八坂神社の神を花魁に見立てる「新開道中」の行事が近年行われていると、地域ガイドは伝える。

鞆の有磯町(福山市鞆町)と福山の新町

鞆の浦は、大可島の麓に遊廓が栄えた港町で、『色道大鏡』に「備後鞆有磯町」として載り、遊郭建築の遺構が残るとされる。地域史を調べる個人サイトは、元禄13年(1700年)の検地帳に4軒の遊女屋の記録があり、最大の奈良屋には約50人の遊女がいたと紹介する。1929年の一覧は、鞆町が8・24、福山市新町が48・99だ。

御手洗の若胡子屋(呉市豊町御手洗)

瀬戸内の潮待ち港・御手洗には、享保9年(1724年)に若胡子屋が広島藩の認可で開業し、堺屋・藤屋・扇屋が加わって4軒の茶屋による花街になった。船に出向く「おちょろ船」もあり、若胡子屋には50人、一説に100人の遊女がいたとされる。4軒のうち建物が残るのは若胡子屋だけで、県史跡として資料館に使われている。近くの「おいらん公園」には、関係者の墓と推定される墓石が移されている。旧遊廓の建物の見方は遊郭建築の解説にまとめている。

宮島の新町と竹原の忠海(廿日市市宮島町・竹原市忠海町)

『色道大鏡』には「宮島新町」(廿日市市宮島町新町)と「広島多々海」(竹原市忠海町)も載る。1929年の一覧は、厳島町が4・23、竹原町が7・11、忠海村が1・3だ。成立や現状を書いた資料は、今回は確認できなかった。

山口県の旧遊廓

下関の稲荷町・豊前田・新地(下関市)

江戸時代、港町の馬関(下関)に稲荷町遊廓(現・赤間町)が生まれ、『色道大鏡』にも載る。壇ノ浦で滅んだ平家の女官の伝承と結びつき、遊女が参加する先帝祭の由来になったとされる。明治に山陽鉄道の下関駅が開くと、庶民向けの豊前田が栄えて稲荷町は衰え、新地遊廓もできた。1930年の稲荷町と裏町は貸座敷19軒・娼妓16人、豊前田は31軒・145人。稲荷町は空襲で全焼して復興せず、1958年に全遊廓が幕を閉じた。「上臈道中」は今も続き、赤間町の末広稲荷神社は1945年に社殿を焼いて1986年に再建された。

山口県のそのほか(宇部・柳井・防府・山口・萩)

山口県は1929年末の貸座敷指定地が41か所(15か所は営業者なし)と、北海道に次いで全国2位だった。一覧には、宇部の老松(17・76)、柳井の石原(14・77)、防府(19・68)、山口(21・137)、徳山(8・56)、萩の弘法寺(6・54)などが載る。宇部では1918年の米騒動で、炭鉱主の邸宅や遊郭に放火があったと市の項にある。

四国の旧遊廓

徳島の秋田町(徳島市)

徳島では1872年、名東県が富田新地(のち南新地)に遊廓を置いた。1878年に営業地が富田新地と板野郡林崎村丸山の2か所に限られ、公娼地となった。1929年の一覧は、徳島市の「南廓」が72・130、丸山が11・35。現在の秋田町五丁目にあたり、1941年に今の町名になった。1945年の徳島大空襲で大きな被害を受け、1958年に遊廓は廃止された。

高松の八重垣新地(高松市城東町)

高松港に面した埋立地で、1871〜72年に新地の北側が埋められて「八重垣」と呼ばれ、1877年ごろから遊廓が立ち並んだ。宇高連絡船と鉄道で四国の玄関口として栄え、昭和初期の最盛期は38軒を数えた。1929年の一覧は21・114、別の資料は1930年に34軒・180人とする。1945年7月4日の高松空襲で焼け、戦災復興の区画整理(換地処分は1964年)で道が直線に整えられた。町名は東浜町から、1958年に東浜町三丁目、1972年に城東町二丁目へ変わった。

丸亀の福島・西平山町と琴平町(香川県)

丸亀には福島(15・69)と西平山町(22・77)の2つの遊廓があった。福島は、赤線建築が集中して残る数少ない地区として知られる。琴平町は金刀比羅宮の門前町で、一覧は「富士見町」に32・76とするが、別の紹介は所在を「琴平町新地」とし、呼び名が一致しない。同じ一覧に、坂出の沖湛浦(5・24)、多度津の西浜(12・45)、善通寺の砂古(7・41)も載る。

松山の道後・三津浜(愛媛県)

愛媛県は1929年末の貸座敷指定地が3か所だけで、一覧には道後湯町の松ヶ枝(22・31)、三津浜町の稲荷(13・126)、北条町の安居島(8・19)が載る。道後の松ヶ枝は、旅館街の坂「ネオン坂」にあたる旧遊郭とされる。成立は幕末の茶屋に遡るとする説と明治10年(1877年)ごろとする説があり、個人の調査記事の間でも食い違う。

高知の玉水新地・稲荷新地(高知市)

高知市には「上の新地」の玉水新地と「下の新地」の稲荷新地があった。玉水新地は1872年に遊郭の認可を受け、1930年刊『全国遊郭案内』は貸座敷27軒・娼妓224人とする(1929年の一覧は28・279)。稲荷新地は1945年1月19日の高知大空襲で壊滅し、復活しなかった。玉水新地は戦災を免れ、2023年8月の取材記事は、赤線時代の建築物が残り、古い町並みの色が濃いと伝える。県西部の中村・宿毛・須崎にも小さな新地があった。

地域別の一覧表

名称 所在地 成立 終わり 現状
衆楽園 鳥取市(駅前) 明治初年 1958年 サンロードの先にあたる
温泉津(石見温泉) 大田市温泉津町 『色道大鏡』(1678年序)に記載 1958年 資料で確認できず
遊亀町(境港) 境港市大正町 1871年 1887年に町名消滅 大正町の海岸部
中島 岡山市東中島町・西中島町 資料で確認できず 1958年 資料で確認できず
下津井 倉敷市下津井 江戸時代 1958年 町並み保存地区に面影
西遊廓 広島市中区舟入町 明治24〜25年(諸説) 原爆で焼失 戦後建築のみ
東遊郭 広島市中区弥生町周辺 1895年とされる 原爆で焼失 戦前の建物なし
朝日遊廓 呉市朝日町 1895年 呉空襲で壊滅 朝日町・朝日橋の名
新開 尾道市久保 江戸後期の埋立地 1958年 「新開道中」の行事
有磯町 福山市鞆町 『色道大鏡』(1678年序)に記載 1958年 遊郭建築の遺構
若胡子屋 呉市豊町御手洗 1724年 1958年 県史跡・資料館
稲荷町 下関市赤間町 江戸時代 空襲で全焼 末広稲荷神社
豊前田・新地 下関市 明治期 1958年 資料で確認できず
秋田町(南新地) 徳島市秋田町 1872年 1958年 旧遊廓が残る町
八重垣新地 高松市城東町 1877年ごろ 空襲で焼失 区画整理・町名変更
福島 丸亀市福島町 資料で確認できず 1958年 赤線建築が残る
松ヶ枝 松山市道後 諸説あり 1958年 ネオン坂
玉水新地 高知市 1872年 1958年 赤線時代の建物が残る
稲荷新地 高知市 資料で確認できず 1945年に壊滅 復活せず

「終わり」の1958年は、公娼制度の地域が売春防止法の全面施行で終わったという全国共通の整理による。個別の資料で確かめられたものは本文に書いた。

まとめ

中国・四国の旧遊廓は、鞆・御手洗・下関のように17世紀から続く港町の遊里と、呉・尾道・高松のように近代の軍港や交通の要所に生まれた遊廓に分けられる。広島・呉・高松・高知の稲荷新地・下関の稲荷町は戦災で焼け、徳島・丸亀・高知の玉水新地には建物や町名の面影が残る。ただし岡山の中島のように、規模が大きくても今回の資料では成立や現状が追えなかった町もある。

よくある質問

Q. 中国・四国で最大の遊廓はどこですか?
A. 1929年の一覧では、貸座敷数は岡山の中島(118)、娼妓数は呉の朝日(590)が最多だ。数え方で順位が変わるため、一つに決められない。

Q. いつ終わりましたか?
A. 公娼制度は1946年に廃止され、赤線を経て、1958年の売春防止法全面施行で終わった。広島・呉・高松のように戦災で焼けたあと赤線として続いた町もあれば、高知の稲荷新地や下関の稲荷町のように復興しなかった町もある。

Q. 『色道大鏡』とは何ですか?
A. 藤本箕山が著した1678年序の全18巻の書物で、当時の遊廓25か所を列挙している。中国地方では温泉津・鞆・忠海・宮島・下関の5か所が載る。

Q. 建物が見られる場所はありますか?
A. 御手洗の若胡子屋跡は県史跡になっている。鞆の遊郭建築の遺構、丸亀の福島や高知の玉水新地の赤線時代の建物も、資料に残るとある。いずれも暮らしの場なので、外から静かに見るのが前提だ。

Q. 昔の町名は今どうなっていますか?
A. 下関の稲荷町は赤間町に編入され、高松の東浜町は城東町二丁目に、鳥取の衆楽園は錦町通りに改められた。町名の変遷は遊廓の位置を探す手がかりになる。

Q. 「新地」と「遊廓」は同じですか?
A. 同じとは限らない。新地は新しく拓かれた土地を指し、遊廓は貸座敷指定地を指す。詳しくは遊郭・遊里・色街・新地・花街の違いにまとめている。

参考にした資料

  • Wikipedia「遊廓」(https://ja.wikipedia.org/wiki/遊廓)
  • 上村行彰『日本遊里史』(1929年)付録『日本全国遊廓一覧』の転載ページ(http://www.jmam.net/b/kindai/yukaku.htm)
  • Wikipedia「下関の遊廓」「赤間町」「秋田町」「八重垣新地」「城東町 (高松市)」「児島地域 (倉敷市)」「下津井地区」「御手洗 (呉市)」「鞆の浦」「流川 (広島市)」「大正町 (境港市)」「宇部市」「ちょんの間」
  • 現代ビジネス 加藤政洋『花街』抜粋「“駅前遊郭”《衆楽園》」(https://gendai.media/articles/-/139433)
  • 現代ビジネス「玉水新地」の取材記事(https://gendai.media/articles/-/142899)
  • 個人の調査記事(呉の朝日遊郭:ameblo.jp/retro-nostalgy-kenta、鞆:ameblo.jp/rediscovery、広島の東遊郭:deepannai.info、琴平:retro.useless-landscape.com)

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