※本記事は歴史・文化の解説であり、特定の店舗や営業を紹介するものではありません。歴史には諸説あり、年号や呼び名は資料によって異なる場合があります。
関東の旧遊廓は、江戸・東京の吉原と洲崎、街道の宿場から育った品川・千住・板橋・新宿、幕末の開港で生まれた横浜など、日本の遊廓の歴史を一通りたどれる地域だ。この記事では特定の店舗や営業には触れず、各地の旧遊廓・色街・花街が「いつ生まれ、どう終わり、跡地に何が残っているか」を、資料で確認できた範囲だけ整理する。資料が取れなかった町は載せていない。
関東の旧遊廓・色街
この記事の読み方|範囲と言葉の違い
対象は茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川の1都6県だ。「遊廓」は貸座敷の営業地として指定された区画、「赤線」は戦後の特殊飲食店街を指し、玉の井のような非公認の私娼街とは区別される。言葉の違いは遊郭・遊里・色街・新地・花街の違いと花街と遊郭の違いに整理してある。終わりの多くは1958年の売春防止法の全面施行だ(売春防止法の記事、赤線・青線の記事)。
関東の遊廓の特徴|概観と年表
東京には、公認遊廓の吉原・洲崎・新宿、宿場の岡場所から遊廓になった品川・千住・板橋、非公認の私娼街の玉の井、花街の向島などが重なっていた。1929年末の統計では、浅草の新吉原が295戸・娼妓2,557人、深川の洲崎が286戸・娼妓2,329人で、全国でも指折りの規模だった。一方、同じ統計で廃娼が実行された県として挙げられるのは群馬と埼玉だ。栃木には21か所の貸座敷指定地があった。千葉・埼玉・栃木・群馬の個々の遊廓は、公開資料で事実を確認できたものが少なく、この記事では概観にとどめた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1617年 | 日本橋葺屋町に遊廓が許可される(元吉原) |
| 1657年 | 明暦の大火のあと、浅草寺北の日本堤付近へ移る(新吉原) |
| 1859年 | 横浜に港崎遊廓が開業する(港崎遊廓の記事) |
| 1872年 | 芸娼妓解放令。遊女屋は貸座敷に名を変える(解放令の経緯) |
| 1888年 | 根津遊廓が洲崎へ移り、深川洲崎遊廓の開業式が行われる |
| 1918〜23年 | 新宿の貸座敷が牛屋ヶ原へ移り、新宿遊廓が成立する |
| 1923年 | 関東大震災。吉原・洲崎が焼け、新宿遊廓が全盛を迎える |
| 1945年3月 | 東京大空襲。吉原・洲崎・玉の井などが大きな被害を受ける |
| 1958年4月 | 売春防止法の全面施行。遊廓・赤線が終わる |
主な旧遊廓・色街|東京
吉原(台東区千束三・四丁目)
元和3年(1617年)に日本橋葺屋町で許可された遊廓が、明暦の大火の後に浅草寺北の日本堤付近へ移り、新吉原になった。関東大震災と東京大空襲でほぼ全焼し、戦後は赤線を経て1958年に終わる。名残は多い。1872年創建の吉原神社、衣紋坂の見返り柳の跡に立つ石碑、交差点とバス停の「吉原大門」だ。弁天池は関東大震災で遊女ら490名が亡くなった場所で、埋め立て後も慰霊の観音像が残る。詳しくは吉原の歴史と吉原大門の記事へ。
洲崎(江東区東陽一丁目)
根津遊廓が東京大学の近くで風紀上問題とされ、1886年に洲崎弁天の東の湿地へ移転が決まり、1888年に深川洲崎遊廓が開業した。大正末には300軒前後が並んだという。1943年に閉鎖令、1945年3月の東京大空襲で壊滅し、戦後は「洲崎パラダイス」として復興、1958年に終わる。1967年の住居表示で町名「洲崎」は消え、東陽一丁目になった。洲崎橋の跡には往時の銘板を使った記念碑があり、「洲崎遊廓追善供養歌碑(昭和6年在銘)」は1999年に江東区の文化財(歴史資料)に登録されている。詳しくは洲崎の歴史を。
新宿(新宿区新宿二丁目)
内藤新宿は江戸四宿の一つで、1718年にいったん廃止され、1772年に再興された。再興の際は飯盛女150人、旅籠52軒が認められている。明治に飯盛旅籠は貸座敷となり、1918年の警視庁の命令で旧二丁目北西の牛屋ヶ原へ集められ、1923年の再建後に「新宿遊廓」と呼ばれた。戦後は赤線として約100軒が営業し、1958年に終わる。名残は寺に残る。成覚寺は遊女の投込寺で、子供合埋碑と旭地蔵は新宿区の有形文化財(歴史資料)、太宗寺と正受院の奪衣婆像などは有形民俗文化財だ。飯盛女と宿場町の記事も参照してほしい。
品川(品川区北品川、品川宿)
東海道の宿場で、1772年に幕府が飯盛女を500人と定めたが増え続け、1843年ごろは食売旅籠屋92軒、水茶屋64軒を数え、「北の吉原、南の品川」と呼ばれた。1844年には道中奉行が1,348人の飯盛女を検挙している。宿駅制が廃止された後も北品川の遊郭は続き、1958年まで賑わった。戦災をほぼ受けなかった地域で、売春防止法後は従業員寮やアパート、商店街に変わり、1988年に旧東海道品川宿周辺のまちづくり協議会ができた。古典落語『居残り佐平次』の舞台でもある。
千住(足立区千住、千住宿)
日光・奥州街道の宿場で、江戸四宿の一つとして飯盛女が置かれた。明治になって岡場所は遊郭となり、1871年に梅毒検査の千住黴毒院が開設されている。1883年の売娼妓は374人、買客43,000人、1888年は466人、65,000人で、いずれも内藤新宿と板橋宿を上回ったと記録されている。現状は資料で確認できなかった。
板橋(板橋区本町・仲宿、板橋宿)
中山道の宿場だった板橋は、明治に入って宿場の役割が弱まるにつれて板橋遊廓へと変わり、昭和の太平洋戦争中まで賑わいが続いた。遊廓の貸座敷「新藤楼」の玄関部分は、板橋区立郷土資料館に移築され保存されている。
玉の井(墨田区東向島五・六丁目、墨田三丁目)
玉の井は、公認の遊廓ではなく、非公認の私娼街だ。永井荷風『濹東綺譚』によれば、1918〜19年ごろ、浅草の言問通りが開かれる際に銘酒屋が移ってきたのが始まりで、関東大震災後は亀戸とともに銘酒屋営業が認められた。1933年には銘酒屋497軒、女性約1,000人(寺島警察署の統計)。1945年3月の空襲で多くが焼け、戦後は焼け残った地域(現・墨田三丁目付近)で赤線として続き、1958年に終わった。細い路地の網目はほぼ昔のままで、カフェー風の建物がわずかに残るとされる。玉の井の歴史と荷風の『濹東綺譚』の記事を参照。
鳩の街(墨田区向島・東向島の境界付近)
東京大空襲で玉の井を焼け出された業者が、1945年7月に開いた赤線地帯だ。終戦直後は米兵向けの施設だったが、性病の感染が多く、1946年に米兵の立入が禁じられ、日本人向けの特殊飲食店街として発展した。1952年は娼家108軒、女性298人。1958年4月1日の完全施行で全業者が廃業し、跡地は商店街やアパートになった。商店街と道路の名に「鳩の街」が残り、色タイルを貼った建物がわずかに残るとされる。
向島の花街(墨田区向島五丁目)
向島は明治期に料理屋が置かれたのが花街の起源で、最盛期は待合・料理屋が100〜200軒、芸妓は1,000人以上に及んだ。2009年時点で料亭18軒、芸妓120名とされる。近くにあった玉の井は、これとは別の私娼街だ。東京の花街は新橋・柳橋と東京六花街の記事に詳しい。
八王子・田町(八王子市田町)
甲州街道の宿場の飯盛女が元になり、1893年の八王子大火のあと、散らばっていた貸座敷を元横山町の田地へ移すことが議決された。実際の移転は1897年の大火後だ。1958年に廃止。町域南側の広い通りは遊廓の中央の大通りの名残で、大門は東側にあった。跡地は宅地になり、妓楼建築を残す木造アパートが数少ない遺構として紹介されている。
八王子の花街(八王子市中町)
遊廓とは別に、明治初期に芸妓置屋・料理屋の花街が生まれた。織物産業で栄え、1929年は芸妓150名、料理屋14軒、待合36軒、置屋39軒。最盛期は料亭45軒、芸妓215名で、1997年には料亭6軒、割烹料亭5軒、芸妓14名まで減った。23区外で唯一現存する東京の花街とされる。
主な旧遊廓・色街|神奈川・茨城
横浜・港崎遊廓から永真遊廓へ(横浜市)
1859年(安政6年)11月に開業した港崎遊廓は、現在の横浜公園の場所にあった。江戸の吉原を手本にし、遊女屋15軒、遊女300人の規模だった。1866年の豚屋火事で焼け、関外の吉原町、高島町と移るたびに焼失し、1880年に吉田新田の南三ツ目へ移って永真遊廓街(真金町)になり、1958年の赤線廃止まで続いた。港崎の跡は1876年に横浜公園になり、岩亀楼の灯籠が1982年に園内の日本庭園へ移された。真金町は現在、住宅地と商店街で、碁盤の目の区画と大鷲神社が面影を伝える。詳しくは横浜の港崎遊廓の記事へ。
横浜・曙町(横浜市中区)
戦前は玉の井や亀戸に匹敵する有名な私娼窟(銘酒屋街)で、吉田川を挟んだ永真遊廓街とともに紅灯街として栄えた。町名は1928年に成立。1945年5月の空襲で焼け野原になり、戦後は青線の色が強く残った。モザイクタイルを貼ったカフェー風の家屋が、わずかに現存するとされる。
川崎・南町と堀之内(川崎市川崎区)
川崎宿の飯売り旅籠から続く貸座敷が1902年に南町へ移され、「小土呂新地」「川崎遊郭」と呼ばれた。戦後は赤線となり、1958年の売春防止法で終わる。堀之内も宿場町として飯盛女を置く旅籠が多く、戦後は青線地帯だった。南町の笠間稲荷社は、芸妓の信仰を集めたという。
茨城・祝町(旧礒浜町)
1695年(元禄8年)に水戸藩公認の遊所として成立した洗濯屋が起こりだ。公認以前から旅籠屋が遊女屋同様の営業をしていたという。藩は家中の者や領民の出入りを何度も禁じており、公認と規制を繰り返した遊所だった。
茨城・潮来(旧潮来町)
利根川の水運の要地で、1671年に8軒が「遊女屋」と定められたとされる。1715年は遊女85人、客2万4250人。仲茶屋は1841年に44軒を数え、1872年は遊女屋渡世6軒、仲茶屋渡世58軒だった。
茨城・平潟(旧平潟町、現・北茨城市)
江戸と奥羽を結ぶ海運の寄港地で、洗濯女と呼ばれた実質的な売春婦が1770年、藩によって「井戸之入」に集住させられた。大正10年は貸座敷11軒、娼妓約50人。町の青年同志会が貸座敷の移転運動を起こし、340戸が同意したが、町当局は動かず、貸座敷は1930年の大不況まで続いた。
地域別の一覧表|関東
現状の欄は資料で確認できたものだけを書いた。「確認できず」は、跡地に何もないという意味ではない。
| 名称 | 所在地 | 成立 | 終わり | 現状 |
|---|---|---|---|---|
| 吉原 | 台東区千束三・四丁目 | 1617年(元吉原) | 1958年 | 吉原神社、見返り柳の碑、観音像 |
| 洲崎 | 江東区東陽一丁目 | 1888年 | 1958年 | 橋の記念碑、供養歌碑(区の文化財) |
| 新宿 | 新宿区新宿二丁目 | 1697年請願(宿場) | 1958年 | 成覚寺・太宗寺の区文化財 |
| 品川 | 品川区北品川 | 1601年(宿場) | 1958年 | 宿場の歴史を生かすまちづくり |
| 千住 | 足立区千住 | 江戸期(宿場) | 確認できず | 確認できず |
| 板橋 | 板橋区本町・仲宿 | 江戸期(宿場) | 戦時中まで | 新藤楼の玄関が移築保存 |
| 玉の井 | 墨田区東向島・墨田三丁目 | 1918〜19年ごろ | 1958年 | 路地の網目が残る |
| 鳩の街 | 墨田区向島・東向島 | 1945年7月 | 1958年 | 商店街名に残る |
| 向島の花街 | 墨田区向島五丁目 | 明治期 | ― | 花街として継承 |
| 八王子・田町 | 八王子市田町 | 1897年ごろ | 1958年 | 広い通り、木造アパート |
| 八王子の花街 | 八王子市中町 | 明治初期 | ― | 23区外で唯一の花街とされる |
| 横浜・港崎→永真 | 横浜公園→真金町 | 1859年 | 1958年 | 横浜公園、岩亀楼の灯籠、大鷲神社 |
| 横浜・曙町 | 横浜市中区 | 戦前の私娼窟 | 戦後 | カフェー風家屋がわずかに現存 |
| 川崎・南町 | 川崎市川崎区 | 1902年 | 1958年 | 笠間稲荷社 |
| 祝町 | 旧礒浜町 | 1695年 | 確認できず | 確認できず |
| 潮来 | 旧潮来町 | 1671年 | 確認できず | 確認できず |
| 平潟 | 旧平潟町 | 1770年 | 1930年ごろ | 確認できず |
まとめ
関東の遊廓は、1617年の元吉原から新吉原、1888年の洲崎、宿場の遊所から生まれた品川・千住・板橋・新宿、幕末の横浜の港崎遊廓まで、江戸から昭和までの流れをたどれる。玉の井や曙町のように、遊廓ではない私娼街もあった。多くは1958年の売春防止法の全面施行で終わり、確認できた「今」は、吉原の見返り柳の碑や弁天池の観音像、洲崎の供養歌碑、新宿の寺の文化財、板橋の玄関の移築、横浜公園の灯籠など、碑や文化財、地名にとどまる。多くの跡地は住宅地や商店街になっている。
よくある質問
Q. 東京にあった主な公認遊廓はどこですか?
A. 吉原、洲崎、新宿が代表だ。品川・千住・板橋は宿場の飯盛女から明治に遊廓となった。1929年末は吉原が295戸、洲崎が286戸だった。
Q. 玉の井や鳩の街は遊廓ですか?
A. 玉の井は戦前の私娼街で、公認の遊廓とは違う。戦後は鳩の街とともに赤線として続いた(赤線・青線の記事)。
Q. 跡地に碑や文化財はありますか?
A. 洲崎の供養歌碑は江東区の文化財に登録されている。新宿の成覚寺の子供合埋碑などは区の文化財、吉原には見返り柳の跡の碑があり、板橋では新藤楼の玄関が移築保存されている。
Q. 遊廓や赤線はいつ終わったのですか?
A. 1958年4月の売春防止法の全面施行が多い。吉原・洲崎・鳩の街・八王子田町・永真遊廓街などがここで終わっている。
Q. 群馬と埼玉に遊廓はなかったのですか?
A. 1929年末の統計では、廃娼が実行された県として群馬と埼玉が挙がる。群馬は1894年1月に廃娼を断行したとされる(93年とする資料もある)。ただし実体は公娼が私娼に変わっただけという評価もある。
Q. 遊廓と花街は同じですか?
A. 別のものだ。花街は芸妓が宴席に出る街で、向島や八王子がその例になる(花街と遊郭の違い)。
参考にした資料
- Wikipedia「吉原(東京都)」「洲崎(東京都)」「新宿二丁目」「内藤新宿」「品川宿」「千住宿」「板橋宿」「玉の井」「鳩の街」「向島(花街)」「八王子(花街)」「田町(八王子市)」「八王子市」「港崎遊廓」「真金町」「曙町(横浜市)」「南町(川崎市)」「堀之内(川崎市)」「遊廓」
- 江東区「洲崎遊廓追善供養歌碑 昭和6年在銘」(文化財ページ)
- 新宿区「新宿区指定文化財一覧」
- 遊廓・遊所研究データベース「茨城」(武林弘恵)
- コトバンク「廃娼運動」(日本大百科全書、世界大百科事典)
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